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『麒麟がくる』から考える、「本能寺の変が起きる日本」と「中国・韓国風トップダウンの理想」の違い【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(12)
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  • 2021.02.07
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『麒麟がくる』から考える、「本能寺の変が起きる日本」と「中国・韓国風トップダウンの理想」の違い【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(12)

3:本能寺の変は、日本史においてどういう出来事なのか?

で、ここからが「本能寺の変とはどういう出来事なのか」について個人的な考えを述べていきたいわけですが。

たとえば『麒麟がくる』の第43回では、

世の中は公家だけじゃないのです。武家だけでもない。百姓や商人や、伊呂波太夫一座の芸人もいるのです。みなが良い世と思えるような政治をしなくてはいけません。

というような理想が繰り返し語られます。

そしてそういう「皆のための善政」を外れて個人の果てしない欲望に飲まれていく存在が、

「月にのぼる者」

と呼ばれています。

本能寺の変の真相がこのドラマの通りではなかったとしても、「こういう構図」自体は日本史を通底して常に存在していたのではないかと私は感じています。

「万人のための政治」という理想があり、そこから外れて「個の欲望」に走ろうとする存在がある一線を超えた時に。

「光秀個人の意志だけで謀反を決断する」のではなく、言葉には出さないが多くの部下たち、そして敵対勢力や旧幕府や朝廷勢力までに至る暗黙の「合意」として光秀の背中を押している…というような構図がある。

あれだけ戦上手で戦略的慧眼もある光秀が、本能寺の変が終わってからはあまりにもあっけない最後を迎えてしまったのも、本当に「(自分自身のエゴとして)次の天下人になってやる!」という思いよりも、「とにかくこのままではいけないのだ!」という突き動かされるような感情によって決断してしまったために、本能寺の変以降は「戦い続ける意思」を失ってしまっていたのではないか、という感覚もあります。

この「本能的合議制」みたいな性質は、現代まで含む私たち「日本らしさ」の根底にある性質であるように思えてきますよね。

4:「本能寺の変がある日本」と「本能寺の変がない中国・韓国」の違い

しかし、こういう「暴走する個=出る杭を抑え込む集団的本能」という言い方をすると、そういうのは今の日本の停滞の元凶そのものではないか? と思う人も多くいる時代になっているように思います。

あなたも、

「本能寺の変で織田信長を殺してしまうような国だから、激化する国際競争の時代に逸材がおらずイノベーションも起こせず停滞する衰退待ったなしの国になるんだ!」

という風に考えるタイプの人かもしれない。

例えば、韓国も含めた「広義の中華文明圏」においては、こういうストッパーをあえて設けないことを理想と感じる人が多いように思います。

「リーダーが万民の幸せを考えなくてはならないという理想」の部分はアジア的に共有しているものだと思いますが、そこから「月にのぼる者」への扱いが違うというか。

確かに「月にのぼる者」によって多少の問題は起こされるだろうが、だからといってどこにも中心がなくグダグダに混乱し続けるよりは、「厳然とした一個の中心」を設定して皆がそれに従う世界になった方がいいのだ…という理想が彼らにはあったりする。

ここ1年の「新型コロナに対する対策」にしても、大陸中国が住民に対して強烈な強制力を持っているのは知っていましたが、台湾や韓国といった国でも、「ちょっとでも隔離違反をすれば強烈な罰金とか、場合によっては即逮捕」といった強烈な罰則で人民を統御して、それが多少の反発はあれど多くの国民には受け入れられているのは私にとって衝撃でした。

日本の保健所が、「陽性者に電話連絡しても、若い人はなかなか出てくれなくて…」みたいな感じのユルユル統御しかできず、「中国・韓国・台湾のようにもっと厳しくやれ!」という声に答えてちょっとでも「罰則化」の議論をすれば徹底的に反発を受ける…というのとは、「お上」に対する感覚が「全く違う世界観」だなと感じざるを得ません。

これは「本能寺の変がある国」と「本能寺の変がない国」といっても良い違いなのではないでしょうか。

5:「本能寺の変がある日本」で社会変革を起こすための近道

最近の日本がいろんな意味で機能不全気味の混乱をあちこちで起こしていると感じている人は多いと思いますが、そういう時についつい私たちは、「中韓風のトップダウンの理想」を描いて、無理してでもそれを日本でも実現したいと思ってしまいがちです。

以前、戦国時代をテーマとした日本の民放バラエティ番組を見ていたら

理想の上司ランキング1位=織田信長

上司だったら嫌な武将ランキング1位=織田信長

になっていて笑ってしまったのですが、これは日本人の永遠の矛盾した感情と言っていいと思います。

グダグダな現実を吹き飛ばしてくれるスーパーマンが出てきて、独裁的にザクッと解決してくれた爽快だろうなあ…と思う反面、じゃあ自分の職場でそれをやられて自分に影響が出たらソレは絶対嫌だと感じてしまう。

そうやっていろんな存在を持ち上げては叩き潰す…を続けてここ、20年ぐらいグダグダに混乱してきた日本というイメージを持っている方は私だけではないでしょう。

ちょっとだけ自己紹介をしますが、私は外資系コンサルティング会社からキャリアをスタートしたあと、「グローバル経済的な手法」と「日本社会」とのギャップがあまりにかけ離れた価値観にあることがいずれ大問題になるのではないか? と思って(その後世界中でトランプ元大統領支持者層や欧州極右勢力のような形でその懸念は具現化したわけですが)、そのギャップを埋める何らかの考え方を長年模索してきた人間です。

そのために、ブラック企業や肉体労働現場やホストクラブでわざわざ働いたりカルト宗教団体に潜入したりなどして「日本社会のアレコレのリアル」を知る体験をしたあと、中小企業のコンサルティングをしています。

「その結論」的に言うのですが、日本は「本能寺の変がある国だという前提の対処」をしていくしかないのではないか…というように思っています。

過去20年の日本は、「抵抗勢力をぶっつぶせ!」的なことを声高に叫んで、徹底的に反対者を無視し、人間関係の環を引きちぎり、強烈な改革を起こそう起こそう…としてきましたが、じゃあ結果日本は「改革」されてちゃんと「新しい道」に進むことができているでしょうか?

むしろ、「抵抗勢力をぶっつぶせ!」と叫べば叫ぶほど、果てしなく絡みついてくる人間関係の環の中に埋没し、泥沼に足を取られるような混乱の中で無為無策だけが積み重なってきたようなところがあるのではないでしょうか?

しかし、日本という国は「ほんとうの理想はこういうのだよね」という自然な共感を育てれば、いつの間にか強烈に「みんな」で変われる国でもあるはずです。

日本中にいつの間にか「ゆるキャラ」が溢れている…みたいな「共感が勝手に全員の自発的参加をもたらす回路」を、遠回りなようでもちゃんと手順を踏んで育てていくことが逆に近道なのではないか?と私は考えています。

なぜなら、「抵抗勢力をぶっつぶせ」型の市場原理主義をもっと徹底的に活用した諸外国(特に欧米諸国)においては、それぞれの国の中が徹底的に分断されてしまって、「トランプ派とアンチトランプ派で同じ話が全然できない大混乱」にまで至ってしまっているからです。

逆に日本は「金持ちも貧乏人も一応まだ同じコンビニとラーメン屋と漫画を共有している」みたいな部分を土俵際一枚ぐらいは残している。

「うさぎと亀の競争」ではないですが、そこで「本能寺の変がある国」ならではの改革のあり方について、真剣に考えてみるべきタイミングではないかと思っています。

次ページ 6:現代の「月にのぼる竹中平蔵」とどう向き合うか?

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