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ビル・ゲイツに怒鳴られ、坂本龍一に理解され【連載】サム古川のインターネットの歴史教科書(3)
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  • 2021.08.19
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ビル・ゲイツに怒鳴られ、坂本龍一に理解され【連載】サム古川のインターネットの歴史教科書(3)

Windows95発売時の仕掛けに奔走

話は戻るが、僕はマイクロソフト株式会社の社長を拝命する際、本国にあらかじめ伝えておいたことがある。それは、「僕は0を1にするのは得意だが、1を10に、10を100に伸ばしたいのなら、もっと適任が日本には大勢いますよ」ということだ。だから、社長を務めるのは長くても5年までにしてほしい、とも。

これはその通りになり、僕はきっかり5年後の1991年に社長を退任、会長に就任している。だから1995年のWindows95発売の時の役割は、裏方としてサポートしていた程度に過ぎない。

たとえば、このOSを大々的にインフルエンスさせるにあたっては、やはり誰か著名人のネームバリューをお借りするのが手っ取り早い。しかし、当時はクリエイティブといえばMacintoshというイメージが強く、クリエイターやミュージシャンは皆、こぞってMacintoshを愛用していた。

そこで僕は、スリムタイプのノートパソコンの先駆的存在である「HiNote」というパソコンを自費で15台ほど購入し、付き合いのあるミュージシャンや芸能人の方に配布した。まだ1台90万円もする時代だったから、相当な出費だ。

何しろ当時はまだ、WindowsOSに対するアレルギーが強い時代で、中には「マイクロソフトは悪の帝国みたいな会社だ」、「そのトップの古川享というのはダース・ベイダーみたいなものだ」が、坂本龍一さんに会った時の最初の言葉だった。

それでもコンサートに同行するローディのように懇切丁寧なセッティングと環境設定で、どうにかHiNoteを使ってもらおうと奔走した(全国ツアーの追っかけ)ところ、少しずつWindows95の機能と操作性に理解を示してくれる人が現れ始めた。その1人が坂本龍一さんだ。他に幅広い業界の方々に私自身がエバンジェリストとして、Windowsの普及に務めた。(IT業界の初代エバンジェリストとして有名な、マイク・ミュレーは、スティーブ・ジョブス殿と一緒にMacの普及のために、ミック・ジャガーやマドンナを訪問した人物で、後年はマイクロソフト本社の人事部長であった。私のエバンジェリストとしての作法と所作は、彼の直伝!)

坂本龍一さんを発表会のステージに引っ張り出すことに成功したおかげで、Windows95というOSの認知が深まり、それが大ヒットの一因に繋がったと僕は思っている。

(つづく)


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