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【追記あり】関西人視点で「維新が大阪で強い理由」を整理し、これからの日本における「改革」を考える【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(24)
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  • 2021.11.05
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【追記あり】関西人視点で「維新が大阪で強い理由」を整理し、これからの日本における「改革」を考える【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(24)

3:維新は維新なりに「知性的」な部分があることを直視しよう

もちろん、“維新批判派”的な視点から見れば、そのプロセスで「大事な支出がカットされてしまった!」ということもあったでしょうし、問題提起は大いにしていくべきです。実際、こんなに大胆な組み換えを常時やっていたら、そのトバッチリで社会にとって大事な予算を切ってしまったことも当然あるだろうなと感じます。そのあたりはコロナ禍においてあの橋下徹氏でさえ認める発言をしていました

ただ、その際に維新のやっていることの全体像をあまり理解せずにツッコミを入れてしまうと、コミュニケーションが全然成立しなくなってしまうんですよね。大阪の財政について調べていた時に、いくつかマスコミとの質疑応答の全文みたいなものも発掘して読んでいたんですが、話が全然噛み合っていないケースが1つ2つではありませんでした。

単にマスコミ側が勉強不足すぎて、たとえば積立金などの全体像を見ずに「見かけ上の借金の数字の増減」だけでセンセーショナルに「維新は無能!」みたいな論陣を張ろうとする勢力が一方ではあって、そういう無理やりな批判に自分たちの政治を邪魔されないためにちょっとどう考えても牽強付会な無理がある成果アピールみたいなものばかり発表するようになり…という「全然噛み合ってない罵り合い」が、大阪維新に関する色々な「論争」と呼ばれるものの実像だと思います。

ただ、ざっくりとした評価として「維新の大阪政治」全体で見れば、都構想の理論的支柱でいわば「当事者の一人」ではありますが、上山信一慶大教授が書いた記事「数字でみる大都市「大阪」の復活ーー橋下改革から10年の成果」のようなかたちで具体的な数字改善が見られることは明らかだし、それは選挙での民意も評価している通りだと思います。

特に、維新側の「成果」を測る時には、大阪というのは戦前は東京よりも人口が大きかった超大都市が今は東京一極集中の流れに飲み込まれている…という「非常に厳しい前提条件」を一応は勘案することが大事で、もっと小さな規模の県と「伸び率」的な指標だけで評価して「維新が無能な理由」という断罪をするのはあまりフェアな評価ではないと思います。

一方で「都構想(少なくとも今の維新案)」に関しては、紆余曲折を経て内容を縮小した案を「それでも意味がある」と強引に維新が推し進めようとして出している数字はツッコミどころも多く、その「都構想の効果見積もり」に関しては、反維新の急先鋒である京都大学藤井聡教授が各所で書いていることはそれなりに納得感があり、それもまた二度の住民投票否決によって「民意」が評価している通りだとも言えそうです。維新は本来、「そういうコストがかかっても一体化には意味がある」と主張すべきところ、細かいコスト比較の論争でも「断然意味がある」と強弁しまくるのでツッコミどころが満載になってしまってるんですよね。

そういう意味では、「選挙によって顕になる民衆の集合的無意識」は案外賢く評価しているように感じているんですが、こと「言葉で交わされる論争」は全然噛み合っていないんですよね。

特に大阪維新の場合は、そもそも「国や社会の運営をどうするべきか」の価値観の面で大きく違った2つの姿勢がぶつかりあっているところに、お互いの陣営が「細かい数字とか施策の一部」だけを取り出してきて「ここが間違ってるんだからお前たちは全部間違っている(俺たちが完全に正しい)」と言い合っているすれ違いがある。

たとえば、「予算の組み換え」にしても、「日本政府は無限にいくらでも借金を増やせる」と思っている層からすれば、「そういう発想」自体がもう全く間違っているわけですよね。

私も日本国債には伝統的に考えられていた以上の借り入れ余地があり、何らかの積極財政を展開していくことが必要だと考えているので、維新のやっていることが「やりすぎ」だと感じている部分はあります。だから支持できないと感じて投票先として現段階では考えていない。

ただ、だからといって「“無限大にいくらでも”借金できる」はずもないので、維新が考えているような何らかの予算のリバランス(特に高齢者向けに優しく現役世代に厳しすぎるかたちになりがちな日本の公的予算の配分を見直していくこと)自体が大事なのだという意見は、「MMT&積極財政主義者」としても一応否定できない部分はあるのではないかとも思います。

また、考え方によっては、大阪城公園や「てんしば」といった公園の再開発に民間企業を参画させる仕組み自体が、そもそも前提として受け入れられないという立場の人もいますよね。「公」と「民」を関わらせること自体に潔癖的な反発心がある考え方が一方ではある。

こういう手法は、アメリカでは結構普通にあることだと思いますし、ブランドイメージ的な違いによって、ニューヨークのセントラルパークでやってれば「素敵!」と感じるけど大阪維新がやってれば「大阪の野蛮人どもが公の大事な資産を自分たちの利益のために売り渡してしまった」的な評価になってしまっている面もあるのではないかとも思うのですが(笑)。

大胆な予算の組み換えにしても、アメリカ政治に関する本を読んでいると、国政でも地方政治レベルでも共和党・民主党に関わらず、選挙の結果によって予算がドカンと組み替えられて何かの部門ごと消滅したりする話が結構出てきてビックリすることがあるんですが、維新がやっていることはそのアメリカの事例よりはかなりマイルドなものの、同じような「思想」に基づいて行われていることだと思います。

つまり、維新は維新で、彼らなりに「知性的」な部分がかなりある政党なんですね。

そこを最初から「反知性主義の塊」みたいなレッテル貼りで入る感じなのが、今の「維新批判議論」の良くないところだと思います。

「人文アカデミア系」の知性も知性だし、維新が理想とするような「アメリカ型のテクノクラート的発想」の知性も知性だし、理系の科学者やエンジニア的発想も知性だし、社会の現場レベルで日々の業務を効率的にこなす知性も知性なので、どれかだけが絶対的な「知性」でソレ以外は「バカ」という発想自体に問題があるわけです。

「自分たちの考える知性とは違うタイプの知性」がそこにはあるのだ、と敬意を持って理解した上で、彼らが支持されている理由を自分たちのやり方で代替できるようになれば維新批判派が維新に勝てるようになるわけですね。

そして特に維新の場合「彼らなりの知性」と「大阪人の気持ち」的なものを分離させずに同じ場所に繋ぎ止めなくてはいけない…という使命感があるのが、維新以外が彼らを見習うべき点だと思います。

4:維新批判派が維新の強みに学べるのは、「知性派」と「現場的組織」の「異質を超えた連携」を最重視すること

私が考える大阪の維新が強いところのコアにある部分は、

そういう「アメリカ型のテクノクラート的知性」を、単に「インテリの内輪トーク」で終わらせずに、「大阪人の気持ち」と共鳴させて同じところに繋ぎ止めておかねばならない…という使命感

っていう部分なんですよね。

「住民の困りごとがあったらすぐ動いてくれるのは維新」と維新反対派にすら言わせるほどの「密接な組織力」と、そこから上がってきた情報を党内のテクノクラート的な知性派に受け渡して両輪で協力しあう、「知性と現場の異質を超えた結合」が強みとしてある。

「大阪の維新」は住民との密接な関係性を持つ地元組織が情報を吸い上げてそれを党内のテクノクラート的な部分に受け渡し、そのうえで「大ナタを振るう」的なことをしているので、全国イメージほどに「弱肉強食の血も涙もないネオリベ」という感じじゃなくて、住民の評価も概ね高いから選挙で圧勝しているわけです。むしろ「高齢者に優しすぎ現役世代に厳しすぎる」日本の政治をリバランスする上でのモデルになる可能性すらある。

それでも個人的には“やりすぎ感”がいつもあるのは問題だと思うんですが、私も含めてその「やりすぎ」を批判したい勢力は、彼らの「長所」は謙虚に見習って、「自分たちの派閥の知性」と「民衆の気持ち」を、いかに同じ場所に繋ぎ止めるのか…について真剣な模索が必要でしょう。

今後の日本においては、「大阪における維新」がやったように、「自分たちの派閥の知性派」が「現場的集団」とのお互いの異質さを尊重しあえる両輪の連携をいかに作れるかどうかが勝負を分ける世界になってくると思います(それは“国政の維新”もできているわけではないはず)。

これは今回立民の選挙にボランティアで参加した人の匿名の投稿ですが、「たった10人のボランティア」すら「組織」としてちゃんと運営できていないしそもそもする気がない様子が批判されていました(2017年の衆院選で立民のボランティアをしたという知人も、この記事の内容に同意できると言っていました)。

「知性派」と「現場を動かせる人」はどちらが欠けても組織の実力を十分に発揮できなくなってしまうのです。

その「今、日本人の目の前にある課題」から逃げずに真正面から解決していければ、「アメリカにおけるトランプ派と反トランプ派」「巨視的に人類社会を見た時の欧米的理想とそれに背を向ける中国やアフガンといった国々」といった「分断」を超える

「“一緒に連れていく”変化のビジョン」

として、世界の人にいずれ必要とされるプロセスになっていくでしょう。

過去10年の「グローバリゼーションが一番強烈に調子に乗っていた時代」には内輪に引きこもって変化に抵抗してきた日本だからこそ、「米中冷戦の時代」に「両側を相対化してちゃんと一歩ずつ変わっていける可能性がある」という著書を今書いているんですが、前文を無料公開しているのでご興味がある方はどうぞ。

結局、「自分と話が合う内輪の慰めあいだけに退行して、自分たち以外をバカにする」言論をやり続けるなら、自民だろうと維新だろうとリベラル派だろうと未来はない。

「ジェンダーやエコ政策などを重視するといった進歩派的改革派」も「ネオリベ的な経済的改革派」も、そして「反緊縮路線の政治的保守派」の人も、それぞれなりに「未開拓のまま残されているど真ん中のボリュームゾーン」と真剣に向き合い、「自分たち以外はバカ」と思わずお互いを尊重しあう対話を生み出そうとすること。

それこそが、今回の維新の躍進が教えてくれる「日本の健全な民主主義」のあるべき姿ではないでしょうか。

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