FINDERS

2023年を本当に「新しい戦前」にしないためのヒントを「オトナ化する韓国」に見る
  • GLOBAL
  • 2022.12.31
  • Twitter
  • facebook
  • LINE
  • はてブ!

2023年を本当に「新しい戦前」にしないためのヒントを「オトナ化する韓国」に見る

3:どんどん“オトナ”になる韓国(の一部)、幼児化する日本(の一部)?

この「中くらいの友達」の成熟に対して、国民性的には、極端から極端に振れがちな韓国人より日本人の方が向いている部分があったように思う人も多いかもしれませんが、最近はそうとも言えないところもあります。

例えば韓流ドラマは2017〜19年ぐらいにかけてすごく雰囲気が変わったと私は感じています。

2017年ぐらいまでは「絶対善の俺たち」と「絶対悪のあいつら」的なプロパガンダ構造が強すぎて、政治的に「同じ党派」の人しかなかなか共感しづらいものが多かった。

さらにもう少し古い韓国映画を観ていると、日本統治時代の話で、それまで主人公たち(韓国人)とニコヤカに話していた日本軍の将校が、ちょっと運んでいた水がかかっちゃったぐらいのことで単なる通行人の女の子をいきなりバーンと銃殺して、カタコト日本語で演じている韓国人俳優が、

「(死体を)カタヅケテオケ!」

っていうシーンがあって、「韓国人はこれ見てフィクションだってわかってんのかな?」って猛烈に不安になったんですよね。本当に日本統治時代の全部が全部そんな政治だったと思ってるんじゃないかと。

そういうのに比べたら、2019年の映画『パラサイト』で、パーティの机の並べ方をどうするかって話をしているシーンで突然「李舜臣将軍が豊臣秀吉軍を叩きのめした時のような鶴翼の陣形にするのだ!」って恍惚と述べるキャラクターとか、明らかにちゃんと「ギャグ」として客観的に見られるようになっていて、「政治的に同派閥」以外の人でもちゃんと観られる作品になっている。

それでも、『イカゲーム』の“ソウル大学主席”氏とか、『梨泰院クラス』の“長家”の人たちのように、「主人公たちがまごうことなき“善”であるために、とにかくただただ“悪い”敵が出てくる」構造が韓流ドラマの特徴としてはあって、個人的にはそこが苦手だったのですが、最近はそういう構造も超えてきている感じではあるんですね。

上記のような話をしていたら、韓国語もできる日韓ミックスの友人が

いやいや、最新の韓流はもっと先に行ってるぜ。過去の作品と比べるとあまりに違っててびっくりするからNetflixドラマの『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』をぜひ観るべきだ

…と教えてくれたので観てみたんですが、ほんと名作でびっくりしました。

過去の「韓流的構造」を軽々と超えるような新鮮なストーリーで、2022年の韓国で文句なしのナンバーワンヒットドラマであり、Netflixでの世界視聴も好調というのもわかる感じがします。

このドラマについては以下のツイートから連続ツイートで感想を述べているので、ご興味があればそこからリンクしているnote記事も含めて読んでいただければと思います。

一話完結で色々な社会問題が出てきて法律議論に持ち込まれるんですが、どれもイデオロギー的に一方向的に断罪して終わりでなく、いろんな人間が生きているこの世界で「理想と現実の適切なバランスがどこにあるのか」を粘り強く探るような感じがあってとても良いです。

あらゆる「イデオロギー党派性」で絶対善や絶対悪を作るのではなくて、社会全体においてあらゆる他者を、まさに「中くらいの友達」としてありのまま理解し、その上で理想を失わずに解決していこうとする姿勢に非常に感銘を受けたんですね。

韓国政治は日本と変わらないかそれ以上に党派争いが激しいようにも見えますし、SNSでは日本の「嫌韓ネット右翼さん」を鏡で反転させたような韓国人も結構いるので、最近の韓流ドラマを見ていると「こんなすごいものを作る人は隣国のいったいどこにいるのかな?」という気持ちになりますけど(笑)。

それぐらい、ここ数年の韓流コンテンツのクリエイターの中にはすごい良識を持った人たちがいるらしいという感じがしています。

一方で最近の一部の日本の左派系映画やドラマは党派的にアナクロな、というか「悪役がなぜ悪になってしまうのか」という社会的背景の描写が薄すぎる結果、小さな悪の積み重ねではなく巨悪が何もかもを差配しているのだという陰謀論的世界観に片足を突っ込んでしまうストーリーが散見され、それを「今まさに起こっている政治の腐敗をよくぞ描いてくれた!」などと内輪だけで褒めあっているような幼児化が起きているような感じがして、そこはかなり憂慮しています。

4:双方の「中くらいの友達」成熟さを持った勢力の存在がカギとなる

Photo by Shutterstock

ただし、そういう陰謀論的な世界観の作品を内輪で褒めあっている現状に「これではいけない」と思っている人たちが(いわゆる“日本の左派”の人々の中でも)最近は多いことも大変大きな希望です。

逆説的なようですが、今後「世界が戦争に近づく」につれて今までのような自己満足的な党派争いのためだけの無内容な議論の投げつけあいでは機能不全になってくることによって、「もっとリアルな議論をしなくては!」という切実なニーズに私達は直面しはじめるでしょう。

その情勢変化の中で、機能不全化した「絶対善VS絶対悪」世界観を超えていくための、成熟した「中くらいの友達」的な関係性が日韓両国において形成されていけば、いまだに紛糾が続く日韓関係の未来にも新しい着地点が見えてくるはずです。

日韓関係を一例にとるなら、米中冷戦時代の現在、中国近傍における自由主義国家サイドの重要国である両国関係が、あるレベル以上に悪化するわけにはいかない切実な事情があるので、何もしなくてもそれなりの小康状態は保たれるだろうとは思います。

ですが「それ以上の改善」を求めるなら、両国間の歴史問題に対する新しい視点の共有が不可欠になるでしょう。

結局、「日本が韓国に対して何も悪いことはしていない」と考えている日本人はそれほど多くないし、歴史の流れの中で色々と屈辱的な思いをさせたことに対して謝罪したい気持ちは多くの人が持っている。

しかし一方で、昔の韓流ドラマによくあったような

「主人公が文句なしの完全な善であるために、噛ませ犬としてとにかく隅から隅まで“悪”である敵が出てくる」的な構造

…で日本の過去を扱うような論調に、日本人が付き合う義理もない。

当時の容赦ない帝国主義時代の風潮の中で、日本人の必死の抵抗なしに、今のように欧米と非欧米が少なくとも形式上は対等な扱いを受けられる構造には決してならなかったであろうことは明らかで、そのあたりの「日本人が果たした役割」を全否定するような構造になっているストーリーは、そこにある人間社会の真実をイデオロギーで塗りつぶしてしまっているところがあるんですね。

欧米人が最初からそんなに「紳士的」な顔をしていて、非欧米人が武力的抵抗力を必死に示すことなしに今のように少なくとも形の上での理想主義的平等の建前が実現したはずはないわけで、そこにある「真実」を無視し続けると、そこにある「隠れた欧米文明中心主義」ゆえに、今後の多極化時代には本当のグローバルレベルの合意形成を完成することはできない。

しかし、それは別に「大日本帝国がアジアの植民地を解放した」とか、「日本の旧軍は何も悪いことをしていない」ということを意味するわけでもない。

この「2つの両極端なイデオロギーの中間」に「本当のリアリティ」は存在していて、それを「中くらいの友達」的な成熟した視点で掘り出すことができるかどうかが問われているのです。

これは「大日本帝国をナチスのように断罪しきることが善」という20世紀的な世界観からは随分と踏み越えた事を言っているように感じられるかもしれませんが、しかしここに踏み込むことこそが、ウクライナとロシアの戦争の収束の見通しが立たず、米中冷戦が第三次世界大戦になりかねない21世紀の「今」こそ必要なパラダイム転換なのです。

大日本帝国が末期には色々とコントロール不能になるほどの「必死さ」がそこに注ぎ込まれなくてはならなかった「理由」は、真空空間から日本民族の「邪悪さ」として突然無意味に現れたわけではありません。

そういう言説には全力で最後まで抵抗する権利が日本人にはあるし、それを無視した言論は、そこに内在する「罪」ゆえに今後も決して「人類社会の半分」以上の合意を取り付けることはできないでしょう。

ありとあらゆる「罪もない(ことになっている)個人」が全人類分押し合いへしあいをして、玉突きに辺境に無理を押し込む結果として当然巻き起こるバックラッシュに対して、その「罪」は一民族ではなく人類全体で背負っていかないと、今後の世界では戦争抑止など決してできない。

そこで「現行の欧米的理想と正義」を世界全体に受け入れてもらいつつ、同時に「受け入れさせられる側」の意地やプライドをいかに抱きとめ、共通の世界秩序の中に共存させられるかどうか。

大枠では罪を認めている多くの日本人の「最後の意地」の部分も包摂できなくて、どうやって私たち人類社会は、合計15億人を超えるロシアや中国の人々の気持ちを「国際社会」に繋ぎ止めることができるというのでしょうか?

そのことを真剣に考え、20世紀的な紋切り型で絶対善VS絶対悪のレッテルをぶつけあう空理空論のバカバカしさを、「中くらいの友達」的な成熟の中に置き換えていくべき時が来ているのです。

韓国社会も、つい数世代前まで軍事独裁政権だったから残っている社会の絆のようなものがまだあるから、どんなことでも「K-○○」と誇っていられる連携が社会の中に一応残っていますが、これがもう少し世代が下れば何から何まで幻想の中にしかない欧米的理想を持ってきて、既存の韓国社会を全否定するだけで自分では何も生産的な貢献をしないタイプの言説を止められなくなってくるはずです。

「韓国の政府ITを褒め称えた次の日に日本のデジタル庁やマイナンバー制度に大反対する日本人」みたいなタイプの論調を止められなくなると、どこか国粋主義っぽい気分も用いながら現実的舵取りが吹き飛んでしまわないように守る必要も出てきてしまう。

中国やロシアなど「欧米社会から見れば辺境」において強権的な政体が必要とされるのは、欧米とそれらの社会の間とのブランドパワーの差が大きすぎて、ローカル社会固有の課題に向き合わずだんだんと上から目線で否定するだけの論調を止められなくなるからだと私は考えています。

人類社会における「欧米」のGDPシェアが下がり続ける今後の世界の中では、ロシアや中国、中東などを絶対悪として否定して西側陣営を善とする20世紀イデオロギー的ムーブメントはどんどん通用しなくなっていきます。

結果として、「理想を諦めはしないが、純粋化した観念で生身の人間を殴りまくることの無意味さも知り尽くしている」ような「中くらいの友達」的な良識を社会の中で共有していくことは、それなしでは人類は第三次世界大戦を避けられないというレベルで重要になっていくでしょう。

社会のあらゆる存在が「中くらいの友達」としてそれぞれのメンツを全否定されずに共存できるようなアジア的良識によって、前世紀の遺物のようなイデオロギー的極端さを置き換えていけるかどうか。

その先に新しい日韓関係、SNSでの言い争いの建設的転換、そして世界の安定に向けた着地点も見えてくるでしょう。

この記事にご興味を持たれた方は、先程も紹介した『ウヨンウ弁護士は天才肌』の先進性に関する記事や、

『今際の国のアリス』と『イカゲーム』という、同じデスゲームジャンルを扱った日韓のヒットドラマを比較することで、両国の国民性の違いを「人災メンタリティ」と「天災メンタリティ」というキーワードで分析した以下の記事

などが好評をいただいているので、よかったらまずは連続ツイート版の要約だけでも読んでいっていただければと思います。

この記事への感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のTwitterにどうぞ。

連載は不定期掲載なので、更新情報は私のTwitterアカウントをフォローいただければと思います。


過去の連載はこちら

< 1 2
  • Twitter
  • facebook
  • LINE
  • はてブ!

SERIES

  • スタッフ目線で選ぶイベント現場弁当
  • あたらしい意識高い系をはじめよう|倉本圭造|経営コンサルタント・経済思想家
  • 高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」|高須正和|Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
  • オランダ発スロージャーナリズム|吉田和充(ヨシダ カズミツ)|ニューロマジック アムステルダム Co-funder&CEO/Creative Director
  • 高橋晋平のアイデア分解入門
  • READ FOR WORK&STYLE|岡田基生|代官山 蔦屋書店 人文コンシェルジュ