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10万人を動員しても赤字!? キャリア35年以上の凄腕プロデューサーが明かす、知られざる「展覧会ビジネスの魅力と難しさ」
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  • 2023.05.07
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10万人を動員しても赤字!? キャリア35年以上の凄腕プロデューサーが明かす、知られざる「展覧会ビジネスの魅力と難しさ」

【連載】知られざる「展覧会プロデュース」の世界 企画・営業・制作実務の極意(1)

全国各地の美術館や博物館、百貨店、商業施設などで行われている「展覧会」。展示される作品群や世界感に引き込まれた経験を持つ人も多いだろうが、こうした展覧会は一体どこの誰がどのように企画しているのか気になったことはないだろうか。

美術館、博物館には専属の学芸員が存在し、もちろん展覧会の企画・制作を行っているが、実は民間企業の展覧会企画部門や、企画制作会社などに所属するプロデューサーも少なからず存在する。

本連載では西武百貨店、東映といった民間企業において、「展覧会プロデュース」一筋で35年以上のキャリアを有する西澤寛氏に登場いただく。企画の真髄、予算・収益管理の要諦、会場運営のノウハウなど「展覧会を成功させるためには何が必要なのか」をこれまで同氏が手掛けた事例の紹介、その裏側にある知られざるエピソードとともに明らかにしていきたい。企業や個人また大小にかかわらずイベントの企画や制作、運営に携わる方々の参考になれば幸いだ。

第1回目となる本稿では、西澤氏のこれまでのキャリアや展覧会ビジネスの全体像や歴史、展覧会のビジネスとしての難しさなどにも触れつつ、その魅力について語っていただいた。

聞き手・構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

西澤寛

滋賀県立愛知高等学校・京都精華大学美術科卒業後、2年間ヨーロッパを外遊。
株式会社西武百貨店に入社。大津店販売促進課長から五番舘西武赤れんがホール館長に就任。セゾンコーポレーション関西文化担当室、西武百貨店本部で文化動員催事を担当。ニューヤングの顧客管理、地元商店街との活性で2回の西武百貨店社長表彰を受賞。「セゾン大賞論文」「公共広告賞」「大津市の文化創造についての論文」に入賞。
2000年、東映株式会社入社。事業推進部企画推進室長を経て、現在シニアプロデューサー。
著書に『展覧会プロデューサーのお仕事』(徳間書店)がある。企画した展覧会の図録は40冊も編集している。

「展覧会」は誰が企画しているのか?

僕は25歳の時に西武百貨店に就職して販促系の業務に携わり、1989年に札幌にある五番舘西武の「赤れんがホール」の初代館長に就任、2000年に東映に転職するというキャリアを重ねてきました。35年以上「展覧会プロデューサー」の仕事をしています。就職する前も地元滋賀の友人たちとコンサートプロモーターのようなことをしたり、滋賀県議会議員だった父の選挙の手伝いをしたりと、ずっと人集めにまつわる活動に関わってきたように思います。

展覧会は実際のところはどんな団体・会社が主催し、どんな準備を経て、プロデューサーは何をしているのかについて、知らない方も多いのではないでしょうか。そこでこの連載では展覧会プロデューサーが何をしているのかを紹介していくことで、少しでもイベントに関わる仕事をしている方々の参考になれば幸いです。

展覧会といえば、百貨店・商業施設など施設の運営会社が自ら行っているイメージが強いかと思いますが、外部の企画会社もあり、新聞社やテレビ局にも担当する部門がありますし、フリーの方もいます。僕が勤務している東映にも「事業推進部」という部署があります。

この部署は、もともと仮面ライダー、スーパー戦隊やプリキュアなどのキャラクターショーの企画運営がメイン業務(コロナ前まで年間7000回ほど開催)ではあるのですが、実はさまざまな展覧会も行っています。1980年代から幾度なく行われている古代エジプトの展覧会も、東映が企画・制作を行っています。

日本の民間企業として最初にエジプト関連の本格的な展覧会を実現したのは東映です。1980年代以降何度も開催していて、直近では2020年から全国4会場に巡回していた国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」も企画しています。聞いたところによると、クレオパトラが登場するアニメを作ろうとした際、「エジプトに行って本物の文物を日本に持ってきたらどうだろう」という夢物語が本当に実現してしまったというのがきっかけだったそうです。

また東映では、百貨店などで開催した展覧会を、別の百貨店や美術館などに提案して全国巡回させることも珍しくありません。ひとつの会場だけで黒字化を目指すプランはそもそも成立しないことが多く、基本的には複数の会場に営業できる(受け入れてもらえる蓋然性がある)企画立案が求められます。

展覧会プロデューサーの仕事は何か

展覧会プロデュースの仕事は主に

・企画立案
・営業
・制作実務(「着地」とも言っている)
・物販アイテムの制作

の4つに分類されます。今回はあくまでそれらの概要紹介に留め、詳しくは後の連載でお話ししていければと思います。

まず企画については、立案から開催まで短くて1年、長いものは10年以上かかることも珍しくありません。僕の場合、5年後ぐらいの開催を目指している展覧会も含め、常に10〜15ほどの企画を同時並行で進めています。

制作実務(着地)は、開催が決まった展覧会を具体的に進行するために必要な作業すべてです。展示する作品の交渉や輸送展示の手配、会場構成やレイアウト、基礎施工、図録や物販商品の制作などその内容は多岐にわたります。物事が目に見える着地段階になると営業で回収された予算を扱えるといった「楽しさ」も確かにある仕事ですが、僕は「展覧会営業した者だけが制作に関わる権利がある」と考えています。それほどまでに展覧会プロデュースの仕事において「営業」は重要なのです。

なぜ営業が難しいかというと、基本的に展覧会のコストのほとんどは会場側が負担することになるため、開催会場に少なくとも1000〜2000万円ほどの「買い物」をお願いすることになるからです。ものすごく簡略化していますが、読者の皆さんにイメージいただく一例として、総経費が1500万円の展覧会の場合、費用内訳はこのようになっています。

企画会社に支払う企画料または開催分担金:500万円
会場運営の人件費(開催期間×人数×時給):200万円
施工費(壁、経師、電気工事、什器など、百貨店では毎回展示用の壁を設置):500万円
広告宣伝費(ポスター、チラシ、ネット広告など):300万円

2000年代ごろまでは公立美術館・博物館を運営する自治体にも、民間企業にもそれなりの予算がありましたが、今ではもう経費節減の嵐でそう簡単には話が通りません。また開催分担金を少しでも分散できるようにと会場数を増やすケースも多々あります。

物販アイテムの制作は、企画会社にとっても開催会場にとっても、近年は利益の柱になっていることから重要な業務です。物販アイテムは基本的には企画会社がリスクを取って制作し、開催会場と「どちらが販売員を用意するか」「在庫リスクを負担するか」「利益をどうシェアするか」をケースバイケースで提案します。ここでは主に百貨店で開催するケースでの概要をお伝えします。

物販アイテムの扱いには「買取」「委託」「消化」の3つがあります。それぞれの違いとレベニューシェアの割合の目安は以下の通りです。

買取:開催会場に定価の50~60%で買い取っていただく
委託:開催会場の手数料は定価の20~30%
消化:開催会場の手数料は定価の10~20%

ちなみに、すべてのアイテムの扱いが一律というわけではありません。例えば「展覧会のメインの限定品のみ会場側が買取してくれるなら生産ロットを増やす」といった交渉もよく行われます。

10万人単位で動員できても黒字化に至らない展覧会も多い

ここまで書いてきたように、「展覧会で利益を上げること」はいつになっても至難の業です。展覧会開催には膨大なコストがかかり、小さな企画でも総経費は1000万円から2000万円はかかります。それに対し収入源は基本的に入場料収入、物販収入、協賛金の3つしかありません。

展覧会の入場料は大抵数百円から2000円程度ですし、企業から協賛金を獲得するのも非常に難しい。今でこそマンガ、アニメ関連やタレント、イラストレーター関連の展覧会も増え、比較的高額な商品や会場限定グッズも含む多数の物販ラインナップを揃えることが当たり前となりましたが、昔はポストカードやちょっとしたお土産レベル、あるいは利益率の低い既存のライセンス商品が多いこともあり、10万人単位で動員できていても赤字ということはザラにありました。開催会場側は「展覧会の経費なんて結局は販促費(=赤字でもともと)でしょ?」と思われていることすらありましたし、東映でも正直なところ「売上」ではなく「利益率」だけ見ればキャラクターショーの方が高いのです。展覧会の利益率は10%ぐらい取れれば良い方でしょうか。

とはいえ何のために展覧会を行い、何を利益と考えるかは事業主体によって千差万別です。税金で運営されている公立の美術館・博物館では人件費や施設費を計上しなくて良いですし、新聞社やテレビ局は主に自社媒体で宣伝をするので広告費の計上は軽くて済みます。一方、最近のラグジュアリーブランドの展覧会などはかなりの予算を投下しているように見受けられますが、経費以上の広告効果が見込めるからこそ実施しているのであれば、それはそれで現在も「展覧会の経費=販促費」で成り立つ世界はあるということかと思います。

「公立美術館によるサブカルチャー展」はまだ30年ほどの歴史しかない

僕が手がけてきた展覧会は、個人的には「生活文化催事」と呼んできましたが、一貫して「サブカルチャー」を扱うものが多かったです。ジャンル自体は絵本、タレント、歌手、映画、マンガ、アニメ、フィギュア、キルト、ファッションなど多岐に渡ります。

かつて、公立美術館や博物館で開催される展覧会は国宝や各国の博物館の所蔵品、巨匠の絵画、伝統工芸などいわゆるハイアートに属するものだけで、サブカルチャー=大衆芸術は本格的な展覧会には値しないものだと思われている節もありました。

僕もこれまでに「北京故宮博物院所蔵『黄金の輝き展』」(2002年 浦添市美術館・福岡アジア美術館)、「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」(2008年〜2010年 大丸ミュージアム・梅田など10会場)といった博物館展を実施したこともあります。転換点を迎えたのは、1990年に東京国立近代美術館で朝日新聞が開催した「手塚治虫展」だと思っています。とはいえ、未だに「美術館で取り上げられるサブカルチャー」というとレジェンドクラスのアーティストばかりですよね。

僕らが企画する展覧会は、今はまだ公立の美術館や博物館で取り上げられることが少なく、実力あるアーティストの更なるステップアップにつながる機会になってほしいと思っています。直近では企画制作に携わった「ひつじのショーン展」で、ミニチュア作家・見立て作家の田中達也さんがショーンとのコラボに参加頂きました

田中達也さんが手掛けた「ひつじのショーン」のフィギュアを使った作品
ⒸTatsuya Tanaka
Ⓒ and TM Aardman Animations Ltd. 2022

展覧会プロデュースの魅力は何かを考えさせられた「観世宗家展」「ムーミン展」

観世宗家展のチラシと展覧会カタログ

現代の生活文化、サブカルチャーの担い手を紹介することも重要なミッションだと思い仕事をしていますが、これまでの仕事の中で「展覧会プロデュースの魅力」を強く感じたエピソードもご紹介します。

観阿弥・世阿弥から七百年近い伝統を受け継ぐ「風姿花伝 観世宗家展」(2012年~2013年、松屋銀座から巡回)を企画したことがあります。2017年には舞台の観世能楽堂がGINZA SIXに移転したことでも話題になりましたね。二十六世観世宗家の観世清和(かんぜきよかず)氏は、能舞台で平安・室町・鎌倉時代の能面や能装束を今もまとって披露されます。本展では足利義政公や徳川家康公等の拝領品等が特別展示されました。その能装束や能面には、観阿弥や世阿弥の汗や息遣いがしみ込んでいるのです。

観世宗家展ではそうした逸品なども展示したのですが、設営段階になって能装束を掛ける展示台の角度がちょっと急だったことから、展示の責任者が「この角度は勾配が急過ぎて能装束に負担がかかり過ぎるので出展は困難だ」と言われてしまって。それも開催前日の23時ぐらいだったのでどうしようか…と。

時間もなく困ってしまったので深夜にも関わらず観世清和氏に電話をしたところ「西澤さん、大丈夫です。事前に何度も打合せをして計算して製作された展示台ですから、そのまま展示して下さい。観世宗家が大切に保管してきた能装束ですが、有形の物はいつか壊れます。それよりも一人でも多くの皆様に現在を見て頂くことが大事なんです」と言ってくださって。

モノというかハード的に見てしまうとどうしても人間の営みから離れてしまう部分があるけれども、ソフトとして人間が用いることで「何百年前の人でもこういう風にしていたのかな」と初めて感じられることがありますよね。その息遣いみたいなものを多くの人に感じてもらうことが、ひとつ「展覧会プロデュースの魅力」と言えるのかもしれません。

2004年に実施した「トーベ・ヤンソン ムーミン谷の素敵な仲間たち展」の告知チラシ

また、この仕事を続けていると同じ作品や作家の展覧会を重ねる機会があります。僕が長年携わってきた作品のひとつに「ムーミン」があります。2004年に実施した「トーベ・ヤンソン ムーミン谷の素敵な仲間たち展」から数えてこれまで9つの企画を開催しており、直近では2020年から2022年にかけて巡回した「ムーミンコミックス展」を手掛けました。

ムーミンの原作者として知られるトーベ・ヤンソンが2001年に亡くなったということ、そして館長と親しかったという母国フィンランドのタンペレ市立美術館(当時は近くに「ムーミン谷博物館」がありました)に多数の作品が寄贈されており、回顧展が開催されたことを知って、日本でも開催できないかと依頼するために現地へ飛びました。

トーベの友人だったアンネリ・イルモネン館長からは「『ムーミンの生みの親』としてではなく、『芸術家のトーベ・ヤンソン』として網羅的に紹介してほしい」という条件が提示されました。トーベの活動は多岐にわたり、風景画や肖像画の油絵、はたまた風刺雑誌の挿絵、『不思議の国のアリス』の挿絵なども手掛けています。風刺雑誌ガルムの中にはムーミンやスナフキンらしきキャラクターが混じっていましたが、“ムーミン的な世界観”とは異なる挿絵作品でした。

トーベ・ヤンソンがフィンランドの風刺雑誌『ガルム』に描いた表紙(1947年)。右上にはムーミンも描かれている

ただ、日本での集客や話題を考えると「トーベ・ヤンソンの名前のガルムの挿絵も日本では馴染みがなく、どうしてもムーミンをメインにしたい」と懇願しました。イルモネン館長からは、「トーベの油絵とガルムの挿絵で100点、ムーミンの原画は90点の出展」と回答。何とかムーミン色を打ち出したいと相談したら、人形作家の谷口千代さんの作品を所蔵しているとのこと。彼女は熱烈なムーミンファンで、トーベに紙粘土で作ったジオラマ作品などを多数贈っていました。本人からも喜ばれ、先述のタンペレ市立美術館に作品が収蔵されていたのです。彼女の作品を日本にお国帰りして展示できることになり、なんとか「トーベ・ヤンソンの創作活動を紹介しながらムーミン関連の作品も多数出展」という状態を作ることができたのです。最終的には5会場で巡回、約9万2000人の方に来場いただき、物販もライセンス商品だけでなく会場限定品の製作とタンペレ市立美術館のオリジナルグッズの輸入もできたことがあって6000万円近い売上を達成することができました。

その後も「ムーミン展」(2009〜10年、全7会場)、「MOOMIN!ムーミン展」(2014〜15年、11会場)などいくつもの展覧会を行っています。9回の企画で関係者との信頼関係も構築でき、動員も物販売上も右肩上がりに伸びていきました。


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