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- 2020.04.17
過去20年「変われない日本」だったからこそ、「アフターコロナ」の希望がある(前編)【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(0)
「インテリな人」と「現場っぽい人」が、長所を活かしあえるビジョンが今の人類には必要
倉本:そういうことを続けながら、じゃあ「時代の節目」はいつ変わるのかというと、これまで全盛だったグローバルに対抗する“何か”が現れて拮抗状態に陥らないと次に行かないじゃないですか。
トランプVS反トランプ的な構図だったり、米中冷戦みたいなものがクローズアップされたりしてくると、20年前のようにアメリカ型のグローバル資本主義をとにかくゴリ押せばいいのだ的な、ネオリベ思想の限界が明らかになってきますよね。
で、「2つの世界」が拮抗して押し合いへし合いになって、どちらにも進めなくなってきた…となってはじめて、「両者をどうシナジーするかが大事ですね」という私が20年ずっと言っていたことが受け入れられる可能性が出てきたんじゃないかなと。
「敵側」を無視して押し切ってしまえるとどっちもが思っている時代には、僕が言っているようなことは迂遠すぎるように感じられちゃいますからね。
特に中国があれだけ大きくなり、「欧米文明とは違うあり方」を強烈に主張するようになる中で、欧米も含めて中国的な政治体制になるわけにはいかないけど、単に欧米的なモノの見方をゴリ押しすればいいってわけでもないよね、というのは否定できなくなってきたのは大きいと感じています。
たぶん、日本における「知的な個人主義者」の人の多くは、過去20年間いろいろと「変われない」日本に非常に不満を持っていたと思うんですね。身軽な諸外国が、クリアーな理屈でバシバシ「改革」を行ってグローバルな状況変化に対応していこうとしているのに、なんで日本は変われないままなんだ!という不満が渦巻いていた。
ただ一方で、例えば今のアメリカに見られるような途方も無い経済格差、あるいは欧米全体で見られる絶望的な社会の分断はそうした「変わらなかった日本」のおかげで生じなかったとも言えるわけですよ。
あらゆる社会制度は全体的に絡み合っているので、よっぽど気をつけないまま一部をイジると全部が壊れたりする。たとえば日本の医療制度とか、「知的な個人主義者」が考えがちな視点からだと改善点が山積みなように見えますが、浅はかなイジり方をするとアメリカみたいに結構裕福そうに見える人ですらちょっとした病気で破産しそうになるようなイビツな制度になってしまう。あるいは欧州の多くの国で見られるような、ちょっとした病気で治療受けるのも何カ月待ち…みたいなことになってしまったりね。
新型コロナウイルスについても、たしかに感染症専門家が強力な権限を持ってリードする体制とか、それ単体で見ると物凄く「合理的」に見えるし日本にも取り入れると良いんじゃないかとは思いますが、そういうところに予算を配分しまくって普通の人が安価で受けられる病院網の維持ができないと…。
結局今回アメリカがすでにブッチギリで世界最大に死者を出してしまっているし、死者数の増加率もなかなか下げ止まっていません。「アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター)ってのが超凄いらしい、日本はできてないからダメだ」神話ってなんだったんだ?って話ですよね。…そういう「狭い意味の合理性の追求」がもたらした脆弱性の弊害は、今回の新型コロナウィルスの問題でどんどん可視化されていっていると思います。
なんらかの「改革」が不要だというわけじゃないんですが、ちゃんと日本の国情と持っているリソースを勘案した上で、「今よりももっと深い合理性」を実現しようとする必要があるんですよね。
つまり大枠でいうと、「古い意識高い系」の活動を過去20年間抑え込んで来たから、アメリカや欧州で起きているような、「ほんの一部の都会のインテリとそれ以外の絶望的対立・分断」みたいなものが起きていないし、格差が開いているとはいえ、「日本人ならまあこれくらいはね」みたいな生活クオリティがギリギリ維持されているわけですよね。