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日本でも「夫婦別姓」や「同性婚」を実現したいなら学ぶべき台湾のオードリー・タンの知恵【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(15)
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  • 2021.03.19
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日本でも「夫婦別姓」や「同性婚」を実現したいなら学ぶべき台湾のオードリー・タンの知恵【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(15)

4:同性婚裁判の判決文はなかなか感動的だった

そういうふうに考えた上で、今回の札幌地裁の判決文を読むと、なんかなかなかの「名文」に見えてきます。私はなんだか心がジーンとしました。

以下のように社会の伝統に敬意を表しておいた上で…

婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであること,同性婚に否定的な意見や価値観を持つ国民が少なからずいることを,立法府が有する広範な立法裁量の中で考慮し,本件規定を同性間にも適用するには至らないのであれば,そのことが直ちに合理的根拠を欠くものと解することはできない。

返す刀で以下のようにちゃんと「理想」の部分はしっかりと斬りきっておく。

圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ,同性愛者のカップルは,重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは,同性愛者の保護が,異性愛者と比してあまりにも欠けると言わざるを得ない。

法律論の細部はプロではないので立ち入りませんが、全体としてこの判決文は、台湾であったように「戸籍制度とかいった保守派にとってセンシティブな話題」から分離した別立ての「法的な保護」を行うことを求めているように私には読めました。

これだけの「配慮」が判決文にはあるのに、これをネタに「保守派をバカにする」SNS投稿をしまくることが、本当にこの問題の解決にとって良いことなのか、「リベラル派」の専門家は一度考えてみてほしいと思っています。

天皇制だとか戸籍制度だとか、そういうモノに対する「大事さ」って人によって全然違いますよね。

ある人にとっては物凄く人生の根幹を成すものであり、ある人にとっては単なる紙切れ的なものだったりする。

そこに「優劣」をつけ始めると果てしなく論争が続くわけですけど、「同性愛者の具体的な困りごとの解消」という視点に徹底的に集中すれば、それに反対するのはよほどの保守派の人でも多くないはずです。

逆に言えば、「保守派にとって大事なこと」を徹底的に否定して「敵」をひざまづかせたい…という欲求に引っ張られるほど、当事者の「具体的な法的保護」は遠のいていくことになるでしょう。

5:ここまでの議論がムカつく原理主義者の人へ

ここまでの議論って、ムカつく人はムカつくと思うんですよね。

私は若い頃は結構「過激派」で、中学校の弁論大会で、

「夢を持って頑張ることが大事だと思いまぁす!」

って言ってる隣のクラスの代表の横で、

「学校制度というものがいかに生徒の個性を鋳型にはめることを目的に作られた監獄であるか」

みたいなことを熱弁していた人間だったので、そういう人の気持ちはとてもわかります。

しかし、その後高校では「全国大会にいつも行くような強豪の部活動」の中心人物になって、「自分が権力を握ったらこんなバカな制度は全部廃止してやる!」と思って色々とバカバカしく(見える)制度や風習を廃止しまくったら、その強豪の部活動が見る影もなく衰退してしまった…っていうことがあったんですよね。

いかに「バカバカしく見える風習」が、「単なる個人主義だけでは繋がれない違う立場の人間への想像力」を生み出すか…っていうのを痛感したんですよ。

大学を出てからは外資系のコンサルティング会社に入ったんですけど、「バカバカしい風習を廃止しまくるモード」だけで社会が運用されていたら相互理解不能な二つの世界が分断されていって大変なことになっちゃうな…と思って(結果アメリカじゃあ明らかにそうなったですよね)、退職後はいろんな「現場」レベルの仕事を渡り歩いたりしつつ今は中小企業相手のコンサルティングをして暮らしています。

その「社会の現場レベル」で実際に生きてみる…みたいな考えで肉体労働をしたり、たまたま声かけられたカルト宗教団体に潜入していろんな人の話を聞いたりしていて本当に痛感したことが、アメリカだとほとんど「相互理解が不可能」になってしまっているような「二つの世界」が、一応まだ日本では繋がっていることの意味や、台湾では色々と「先進的」な政策が実現してもアメリカのような分断には陥っていないことを考えると、いかに「その社会の伝統」的なものが、生きている生身の数千万人とか一億人とかが無意味に対立してしまわないような潤滑剤となっているか…ってことなんですよ。

実際、アメリカのように社会が二分されたら「トランプ派」の人は日常生活において「意識高い系が言ってることのあえて逆をやってやる!」ってなりますし、地球全体で見たら「欧米的理想」に反発を持った中国フォロワーの国が増えれば増えるほど、「欧米的理想とは逆の環境」で生きる人の数が増えるわけですよね。

そのぐらいの危機的状況が目の前にある以上、「敵陣営を論破する」ことではなくて、「できるだけ多くの人が日常レベルで理不尽な思いをしないで済む方法」を考えるべきで、そのためには、特に非欧米社会においてその社会の伝統や自律性を、「欧米的理想」と徹底的に「対等」なものとして扱っていくことの重要性が、米中冷戦時代の現代には非常に重要なこととなっていくでしょう。

今の欧米社会の流行は「白と黒」の政治闘争なので、「とりあえずの現段階の社会運営における知恵」みたいなものまで一緒くたに「黒」側の政治活動家が否定するので、着地点がまとまらずに徹底的な分断が生まれるわけです。

しかしそれは、人類の歴史において「白人と黒人」という「完全な上下関係」が生まれてしまった部分しか見てないからそうなるわけで、つまりアメリカ人がそういう「絶対善VS絶対悪」的な世界観で生きられているのは、アメリカ合衆国がネイティブアメリカンをほとんど「抹殺」した更地の上に建てたという歴史があってこそ可能になっているわけです。

しかし、現代の東アジア諸国の成り立ちは、アメリカのように「ネイティブアメリカンを抹殺した更地の上」にできているわけではないですよね?

ある程度欧米社会と「対等」な関係性を維持した「白VS黄色(東アジア)」の政治闘争の時代には、台湾のオードリー・タンがその自国社会の古い伝統への敬意をベースに動かすことで対立を止揚したような事が重要になってくるでしょう。

その時、「欧米的理想」は歴史的にはじめて「高貴な自分たちが上から目線で救ってやるべきかわいそうな存在」ではない「対等な他者」を発見することになる。

21世紀の人類社会では「フランス革命」の理想に興奮する層の思いも、その興奮の暴走でギロチンでクビを斬られまくった層の思いも、熱狂的な軍隊に攻め込まれまくってヒドイ目に遭った国の人の思いも、

全部

取り入れられないと安定できるはずがないんですよ。

「アンシャンレジーム(古い社会制度)」が「絶対悪」で、「そうでない俺たち」が「絶対善」みたいな発想は20世紀までで終わりにするべきです。

日本はこの来たるべき「白VS黄色」の政治闘争において、重要な役割を担える歴史的経緯が明らかにあるはずですよね。

私が7年前ぐらいから著書で使っているこの図のように、

ありとあらゆる抽象的な「原理主義的対立」を徹底的に丸め込んで「具体的な生活レベルのこと」に転換して止揚することに集中することが、これからの我々の進むべき道だと私は考えています。

「美しい花」がある。「花の美しさ」というようなものはない。by小林秀雄

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