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- 2021.03.19
日本でも「夫婦別姓」や「同性婚」を実現したいなら学ぶべき台湾のオードリー・タンの知恵【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(15)
6:「維新案」はなかなかいいと思った
日本維新の会が2019年の参議院選挙時に示したマニフェストより。「同一戸籍・同一氏の原則を維持しながら旧姓使用にも一般的な法的効力を。同性婚を認める」という記述がある
先日、この記事が掲載されるFINDERSの米田編集長が出演するというので、どんな人なのか知りたくて『ABEMA Prime』というネット番組を観たんですが、そしたらたまたま夫婦別姓制度がテーマでした。
その中で、日本維新の会の梅村みずほ議員が、夫婦別姓議論において、
「保守派にとってセンシティブな戸籍制度はそのままにして、通名(旧姓)を選んだ人が法律的・実務的に不利益が起きない細かい制度変更をしていく」
のが維新の方針なのだと説明されていて、私はかなり賛成でした。正直言ってこんなに配慮の行き届いた発想が“日本維新の会”から出るということ自体が失礼ですが意外な気持ちになりました(笑)。
動画公開のお知らせ
— 日本維新の会 (@osaka_ishin) March 2, 2020
維新deGO!
〜選択的夫婦別姓〜【前編】
2020年3月2日(月)
「夫婦別姓を維新議員がわかりやすく説明」
前編https://t.co/FAVUVcNgZl
後編https://t.co/2CnNqbLeO6
出演(50音順)
参議院議員 #梅村みずほ
参議院議員 #音喜多駿
衆議院議員 #藤田文武
#旧姓小林 #嫁入り
クレジットカードや特許の名義みたいな具体的なレベルで、「困りごと」が無いようにすることは責任を持ってちゃんとやります…という方向で徹底する方向で具体的な話をしていけば、改革派の「まだこんな困りごとがあるぞ」を次々と改革していく動きも生まれるでしょう。
大上段の宗教戦争で果てしなくモメ続けるよりもずっといい。
そして改姓するにしても、それにともなういろんな手続きがワンタッチで終わるような仕組みづくり…なども実現してほしい。
そもそも多くの「改革派」が言う、
諸外国では認められているのに
とか、
当事者以外には一切関係ない話じゃないか
みたいなのは、「保守派」から言うと全然反論になっていないというか、むしろ「だからこそダメな理由」みたいなものなんですよね。「保守派による反対の理由」が改革派からすれば「全然反論になっておらず理解不能」と感じるのと同程度には、です。
外国がどうあれここは日本だし伝統がある。それがたとえ明治期以降のものだとしても、それを守り通してきた先人への敬意というものがある。
個人的な生き様はもちろん「個人の自由」だが、こと「婚姻」のような問題に関しては「当事者以外には関係ない」という態度自体が国の伝統への侮辱である。
↑こういうふうに考える人を改革派が「説得」するとかほぼ不可能だと思いますし、それを「引きちぎって」改革したアメリカ社会が回復不能の分断を抱え込んでしまったことと、「古い社会への敬意」をベースに動かした台湾が非常に安定していることを比較すると、我々が選ぶべき道がどちらかは明らかだと思います。
特に、戸籍制度にまつわる変更に保守派が非常にセンシティブなのは、そういう動きの延長線上に「天皇制」の解体が視野に入っているのではないかという本能的警戒心があるのだ…という指摘はよくされています。
台湾において「一族」という中華文明にとって非常に中核的に重要な概念を否定せずに同性婚を導入したことが鍵であったことからわかるように、その文化が古くから培ってきた人と人とのつながりのコアにあるコンセプトまで攻撃されるのではないか? という警戒心があるうちは、なかなかスムーズに物事は進みません。
「天皇制」自体を破壊することそれ自体が目的なのだ…という人はそう多くないでしょう。それに、天皇は日本国憲法にも規定されているわけですから、そこまで原理主義的な破壊を目指すなら、当然改憲が必要になってくるはずですしね。 最近公開した「価値観の違う他人と一緒にやっていくためのハウツー本」で何度も書いたことなんですが、価値観が果てしなく多様化して混乱している今の時代に重要なのは
・相手の御本尊を否定しない
・具体的な話をする
この2つの方針を徹底していくことなのです。
せっかく「名文」な地裁判決文が出ているんですし、同性婚でも夫婦別姓でも、
・「保守派」「伝統を大事にしたい人」を罵倒するのをやめ、「考え方は違うが対等な存在」として扱う。
・粛々と、「別立ての制度」を通して、当事者の「具体的な困りごと」は解消する。
こういう方向に誘導していけば、これがそのまま
「白VS黒」の「どっちかが絶対善で絶対悪の政治闘争」
から、
「白VS黄色」の「どちらの理想も対等に扱いながら具体的細部の困りごとを解決する」
への転換点となって、これがお互い非妥協的に攻撃し合うだけで社会の分断がヒドイことになっている欧米社会に対しても、希望となる「新しい考え方」となっていくでしょう。
私はこういう発想を「メタ正義感覚」と呼んでいますが、その観点から、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
また、この「メタ正義感覚」を「脱原発」政策についても導入して考えてみる記事「脱原発したいならウソはいけない。「原発ムラがー」的陰謀論にハマるのをやめて、やるべき「相手を尊重しあう対話」とは?」をnoteに書いたので、そちらもどうぞ。
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