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「人権か中国市場か」ウイグル問題に揺れるユニクロやアシックスはどんな態度で臨むべきか【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(16)
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  • 2021.04.16
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「人権か中国市場か」ウイグル問題に揺れるユニクロやアシックスはどんな態度で臨むべきか【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(16)

5:「問題解決のためでなく、自分がカッコつけるために誰かを糾弾する」悪癖を克服しよう

そろそろ長くなってきたので簡単に述べますが、昨今、特に欧米において、

「問題解決のためでなく、自分がカッコつけるために誰かを“絶対悪”扱いして声高に糾弾してみせる」

ような態度が持て囃されているのは、問題解決を余計に難しくしている悪習であると私は考えています。

そういう態度で「糾弾することが自己目的化したムーブメント」が大きくなりすぎると、「グローバルで見たそれぞれのローカル社会」や、欧米社会の中でも「その社会の保守派グループ」との間での現実的で難しい交渉をする必要性を皆が軽視しはじめるからです。

結果として、欧米社会の中のほんの一部の上澄み部分の内側においてものすごく精密で細かい「正しいマナー」が普及していく一方で、結局人類全体の90%を占める非欧米社会はもちろん、そもそも欧米社会内においても上澄みの特権階級の部分以外に普及しないどころか少なくない反発を受ける現状があるのです。

数日前に日本語訳が出たマイケル・サンデル(ベストセラーの“白熱教室”で有名な人ですね)の新刊『能力主義は正義か?』を読むと、恵まれた知的なエリート階級が、自分たち以外の労働者を無意識に見下した態度を取っていることが、トランプ・ムーブメントのようなバックラッシュの根本原因にあることを直視するべきだ…という趣旨の分析がこれでもかと展開されていました。

たとえば最近日本で話題になった車椅子のバリアフリー問題でも、「当事者が気を使わずにバリアフリーを利用できる環境」をちゃんと広めるためにこそ、「当事者が声を上げること」を尊重するのはもちろん重要ですが、それに相乗りして「現場の労働を誰がどのような構造のもとで担っているのか」に触れる人を否定する「知識人」がたくさんいることが、社会全体にバリアフリーを通用させていくために良いことなのか、真剣に問い直されるべき時だと思っています。

そういう態度は、「欧米社会(にアイデンティティを同化した存在)がそれ以外の社会を無意識に蔑視する感情」が含まれているのではないでしょうか?

「障害者はわきまえて隅っこで生きるべき」みたいなことを考えている人は多くありません。しかし、日本社会が培ってきた人間関係や社会構築のモードやマナーの、結果的に良い作用をしていた側面まで全否定するような言説を発すればするほど、結果として「多くの普通の人」を「逆側」に押し出してしまうわけです。

「バリアフリーの理想」が、障害者があちこちでペコペコしてなくても普通にしたいことができる社会であるとするなら、「当事者以外」の言説はちゃんと「それぞれの社会の国民性や伝統」とどうやったら調和できるか真剣に考えるべきでしょう。

どうすれば「欧米社会以外の社会の伝統」と「バリアフリーという理想」が調和するのか、両者に対等な敬意を払った上で考えていくべきで、「欧米ではこうなのに日本は遅れてるよねー!」的なオシャベリをしまくることで「社会の協力」が得られると思う発想の中に、欧米社会のシェアが果てしなく低下し続ける21世紀には捨て去るべき文化帝国主義的な感情が潜んでいると私は考えています。

この「バリアフリー思想と日本社会との調和」の課題については、社会運動について研究する社会学者の富永京子氏(立命館大学)の著書、『みんなのわがまま入門』の書評という形で詳細にまとめたnote記事を書いたので、そちらをお読みいただければと思います。

結局、「特権的なインテリエリートサークル」の内側の論理を、その外側にまで広めていくにあたって、「遅れているダメな人たち」という目線が隠しきれず、現地現物の事情に敬意を払ってすり合わせる地道な試みをバカにし続けるからこそ、結局“欧米的理想”は人類の上澄み10%の外側には決して普及せずにいるのではないでしょうか。

それは単に「欧米人以外は人権思想が理解できない野蛮人」だからでしょうか?そうではなく、「ローカル社会の運営上の事情やそれぞれの伝統」への配慮がない上から目線のゴリ押ししか存在しないことを反省するべきなのではないでしょうか?

欧米的理想をそれ以外の社会にまで敷衍していくにあたって、「現地のローカル事情」へ事細かに配慮しようと努力する人まで一緒くたに敵認定し糾弾してしまう拙速さが、結局21世紀においては抜き差しならない米中冷戦のかたちとなっているわけです。

その状況の中で日本が取るべき役割は、欧米社会が作り出す「絶対善VS絶対悪」的なイデオロギーを徹底的に相対化し、現地社会の事情をちゃんと事細かに読み取りながら、優しい社会を「人類の中のできるだけ多くの人」に向けて作っていくビジョンを実現していくことです。

以下の図のように…

以前この連載で書きましたが、日本という国は頭で考えた概念的枠組みだけを果てしなく推し進めて行くようなことは苦手なので、過去20年の「グローバリズム全盛期」には後手後手に回ってきました。

しかし、20世紀の米ソ冷戦時代に、「資本主義と共産主義」という全く相反するイデオロギーがぶつかり合う中で、その「イデオロギーにごまかされない実質主義」で着々と自分の道を歩むことで圧倒的な繁栄を引き寄せることができました。

当時の日本は「最も成功した社会主義国」などと揶揄されたりしましたが、それは「イデオロギーの純粋性」が頓挫する世界において「結局の現地現物」だけを見る我々の特性の強みを表したものだったと言えるでしょう。

米中冷戦が世界を二分するようになり、単純なイデオロギーを無理やり推し進めるだけの方向性が「拮抗する力」とぶつかって頓挫し始めるこれからの時代は、20世紀の日本が体験したような「ボーナスステージ」を再び引き寄せることも可能だと私は考えています。

「世界の逆側の誰か」に全ての責任をおっ被せて糾弾するナルシシズムが横行する時代に、本当の「実質」を目掛けて常に動いていくことで、自分たちが長い歴史の中で培ってきたオリジナリティを現代世界の中で明確に打ち立てていくことができるでしょう。

ヤンキーっぽい用語に「ハバを利かす」っていう言葉がありますが、今の時代、「全部敵のせいにしてナルシスティックに騒ぐ」ようなしょうもないヤカラどもがハバを利かし過ぎだと思います。

米中冷戦のガチンコのぶつかり合いの中で、私たち日本人が考える「本当の理想はこうだ」というビジョンを妥協なく押し出していって、我々こそが堂々と「ハバを利かし」て行ってやりましょう。

そこには、20世紀の日本が経験したような、2つのイデオロギーのハザマにある特殊な実質主義のボーナスステージが、用意されているはずです。

私たちならできますよ。

もっと踏み込んだ形で、「果てしなく他人を糾弾し続けるムーブメント」を超える、「ニンテンドー型の包摂ビジョン」こそが日本が提示する理想なのだ・・・というnote記事も書いたのでこちらも合わせてお読みいただければと思います。

今回記事はここまでです。

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