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「反ワクチンのモンスター医師」が生まれてしまうワケ。彼らに負けずにワクチン接種を進めるために社会はどう向き合うべきか?【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(19)
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  • 2021.07.20
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「反ワクチンのモンスター医師」が生まれてしまうワケ。彼らに負けずにワクチン接種を進めるために社会はどう向き合うべきか?【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(19)

5:欧米社会は逆に「欧米的な知の構造」に乗らないものを抑圧しすぎている

ここまでは「日本社会」におけるモンスター化の事情について考察してきましたが、しかしこういう「抑圧された怨念が“非科学的なまでの反ワクチン派”を生み出す」というのは、むしろアメリカなどが本場といっていいほどでもありますよね。

欧米社会、特にアメリカにおいても、やはりこの「社会が“標準”として取り入れる考え方の範囲の狭さ」が、アメリカなりに問題を起こしているのだと私は考えています。

ただし日本とは逆に、欧米、特にアメリカの場合は「アカデミックな知のあり方」に社会を思う存分トップダウンで振り回せるパワーを与える反動で、それ以外の人の効力感や本来発揮可能だった能力を奪いすぎているところがあるのではないでしょうか。

たとえば、日本の製造業の現場の「知性」ってすごいところはビックリするほどやはり超すごいところがあって、私のクライアントの話は守秘義務的にできないので公開されているトヨタの話をしますけど、トヨタイムズというオウンドメディアに掲載された「医療用防護ガウンを“1日でも早く、1枚でも多く” (生産工程改善の現場を取材)」という記事によると、コロナ禍で急遽医療用ガウンを急遽製造することになった雨合羽メーカーに、トヨタの生産技術者が指導に行って一緒に製造工程を見直した結果、

一日500着が限度だったのが、なんと一日5万着も作れるようになった!!

そうです。生産量100倍。すごすぎますよね。

そもそもクルマ以外の生産に関わったことが今までほとんどなかったはずなのにこんなことができるというのは、ほとんど「マジカル」なレベルの知性だと思うし、世界中どこに行っても引く手あまたの超優秀人材と言っていいと思います。

ただ、似た感じの私のクライアント企業の社員の例を考えてみると、たぶんこのトヨタの生産技術者の人は、大卒ではない可能性もあると思うんですね。高卒だったり、高専卒だったりするかもしれない。中卒ということもありえる。

なんというか、13歳で飛び級で大学を出て物理学の論文を書く能力も「知性」だし、今まで扱ったことがない分野の製造現場にフラッと行って生産量を100倍にできる能力も「知性」であって、この2つを「等価に尊重」できるのが本来的な社会のあるべき姿だと思うのですが。

欧米的社会システムは、「知性」という言葉の通用範囲が狭すぎるというか、「13歳で物理の論文」だけが「知性」であり、「知らない分野でも生産量を100倍にできる」の方は「知性」に値しない扱いになってしまいがちですよね。

この点は、最近話題のマイケル・サンデルの本『実力も運のうち 能力主義は正義か』においても厳しく批判されていて、アカデミズム(学問界)の内側にしか「知性」がないと思っており、現場的なスキルを磨く機会に投資する額が少なすぎることがアメリカ社会の大問題だと指摘されています。

そういう「アカデミズムの内側だけを重視する」社会のあり方が、現場作業的な役割をこなす層の貧困を固定化しているだけでなく、彼らの自己重要感を不当に奪う結果になり、社会を不安定化させているのだという指摘は、サンデルというアメリカの有名大学教授の言葉だと考えると余計に重いものがあると感じました。

6:現場的・学問的知性が手を携えて初めて日本は「昭和的な重さ」から脱却できる

Photo by Unsplash

欧米社会ではAIが浸透すると「こういう現場的な作業能力は一切必要なくなってしまう」という悲観的な予測が多いんですけど、ただ、製造業のクライアントを見ていると個人的には「そう簡単な話じゃないな」と思うんですね。

確かに、「一つの部品を次々と手作業で組み付ける能力」自体は不要になるかもしれないけど、「生産量を100倍に工夫する能力」はむしろもっと必要になるというか。

たとえば、「3Dプリンタが進歩すれば工場作業員なんていらなくなる」とかよく言われているんですが、しかしコストの面とか色々あって、大事なのは「日進月歩のプリンタ技術をちゃんと見極めて、それの適切な使い方をする判断力」の方だな…と私は思っています。

なんかネットニュースでは、「3Dプリンタでコレを作りました!すごい時代ですね!」みたいな記事が結構流れるんですが、よく読むと結局3Dプリンタでは作りやすい部分だけ作っていて、残りは人手で完成させていたりするんですよね。

だからこそ、「新しくできた製造技術をどう活用して、どの工程に使うのか」の判断が、製造技術が日進月歩だからこそ実地に常にものすごく必要とされ続けるわけです。

「この時間とコストなら、まあまだ今までのこのやり方の方がいいよね」
「お、ここまで進歩したのなら、この工程には取り入れたら全体としてコストも必要時間も下がるな」

こういう判断力は最後まで必要とされるので、結局「アカデミズムとは違うタイプの現場の知」の存在を活かす分野は、少なくともドラえもん級に自分で何でも考えて動けるロボット(AI)ができるまでは残り続けると思います。

今の欧米由来の社会構造は、そういう「現場レベルでの工夫の余地」まで、「非常に大雑把なレベルの科学知」が押しつぶしてしまっているのではないか…というのは私の中で常に問題意識としてあって、「反ワクチン」につながる怨念の源泉は、そこにあるのだと思っています。

日本に住んでいるインテリさんの中には、アメリカのように社会が自分たちに「神様みたいな絶大な権力」を与えてくれないのを不満に思っていて、こういう「現場の知性」みたいな話が大嫌いな人が結構います。

で、実際にこういう「現場礼賛」的な言説のかなりの部分は、たしかに単なる無内容な昭和の懐古主義的なものであることも多いのは難しい問題だと思います。 しかし、AI活用事例とか、ビッグデータ的なシステム活用にしても、日本において本当にグローバル規模で「他にない成果」を出しているのは、「現場知」と「学問レベルの知」がちゃんと手を携えた時なのではないでしょうか。

たとえば日本企業における「IT」活用事例として一番有名なのは、コマツが世界中の自社重機の稼働状況を常にモニターしていて、故障を事前に予知するだけでなく、稼働状況ビッグデータを集めて世界中の景気変化まで指数化してしまうコムトラックスというシステムではないかと思いますが、こういうのをIoT(モノのインターネット)とかビッグデータとかいう言葉もない時代から着々と整備できるのは、「限られたインテリの範囲内だけで閉じていない知性の連動」があったからこそでしょう。

結局今も世界と戦えているのは、「日本って遅れてるよねえ。もうほんと絶望だわ!」とツイッターで毎日つぶやくのにお忙しいタイプ「ではない人たち」の地道な活躍があるからってことなんですよね。

逆に言えば、本当に「現場知」が大事な部分をキチンと場合分けして適切に引き上げる力を「日本のインテリ」さんたちが持てるようになれば、サクサクと「グローバルな合理性」で切ってしまえばいい部分でもグズグズと揉め続ける必要はなくなるし、「現場知」を旗印にするようなタイプの人が持ちがちな「昭和のプロジェクトX型の精神論」から日本が脱却することもはじめて可能になるわけです。

以前「『日本の学術予算は実は簡単に増やせる』という話」というnote記事で書いたように、そういう「現場知との新しい関係性」を生み出しさえすれば、今日本中で問題になっている学術予算の問題も、それを存分に手当できる社会的合意も容易に得られるようになるでしょう。

そしてそれは、多くの大真面目な“科学者”の方に非常に好評をいただいた当連載の昨年のこの記事で書いたように、『科学的に何かが正しいと言明することのあまりの大変さ』を本来的なレベルで理解すればするほど、適切なレベルで「現場知」との連動関係を作っていくことは、「科学は万能じゃないんだよ」というよりも、むしろ「より本来的な科学的態度」だとすら言えるはずです。

私は以前からずっと憤っているのですが、

こういう「現場知」的なものに対して、今の欧米型の社会システムはあまりにも無知すぎて、結果として無邪気な欧米礼賛型の“日本におけるリベラル派”も日本社会の現実から遊離しすぎているために、日本社会を大きな混乱なく統治するには「昭和的な重苦しいもの」に頼らざるを得なくなっているのだ

という因果関係について、皆さんにぜひ一緒に考えてみてほしいと思っています。

これは私の著書で使った図なのですが、

「日本社会に変化を求める側」が、「欧米社会の良くない部分の独善性」に無自覚すぎる形で日本社会を攻撃するので、自分たちの美点を崩壊させないために「昭和的なもの」から縁を切れずにいるんですよ。

むしろ、現代の米中冷戦時代には、「欧米社会の独善性を掣肘しつつ、彼らの理想自体は消さない」ような、「人類の1割程度の特権階級である欧米社会の理想を、“その外”に広げていくための配慮」について身を持って深い知恵を持っている国としての日本の可能性を追求していくことが重要な課題であると私は考えています。

とにかく、「反ワクチン言論」的なるものへの対処っていうのは、新型コロナ禍においてはもちろん、そして現代の地球温暖化時代には次々と「次のパンデミック」も起こり得る状況の中で、世界中で非常に重要な課題になっています。

そこを、「現場的知性を無視し、大雑把な“エビデンス”を、それが本来必要ない、不適切なレベルにまで社会のあちこちで押し付ける欧米型社会の歪み」的な観点から、より広いタイプの人間の知性への「敬意」の払い方…という点を、日本文化の美点として考えてみるべきタイミングなのではないでしょうか。

そしてこの「グローバル視点・アカデミック視点から日本に改革を迫る側」があまりに「欧米礼賛」すぎ、日本社会の実情とのすり合わせを軽視しすぎるために、逆に「日本を実際に動かす中枢」がどんどん「非グローバルで非アカデミック」な昭和の根性主義に染められていってしまう矛盾は、今まさに私たちが東京五輪に関する混乱の中で目撃している大問題でもあるでしょう。

そのあたりの矛盾の解きほぐし方について、特に小山田圭吾さんのイジメ自慢や小沢健二さんの万引自慢のような90年代当時からの日本社会のネジレの背景を読み解きながら考察するnote記事でより深く掘り下げましたので、そちらもご興味あればぜひお読みいただければと思います。

今回記事はここまでです。

なんとか、あらゆる配慮を動員してワクチン接種を進めて、なんとかこのツライ「コロナ禍」を抜けて、集団免疫を達成した環境の中で思いっきりマスクなしで電車に乗ったり飲んだり騒いだり、満員の球場で大声をあげてスポーツ観戦したり、狭いライブハウスで皆で歌ったり、しましょうね!

感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。

連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。noteにもっと深堀りした記事を毎月書いているのでこちらもどうぞ。


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