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「首都圏大停電の危機」は誰の責任か。皆が誤解する「日本のエネルギー政策」の本当の課題【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(31)
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  • 2022.03.25
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「首都圏大停電の危機」は誰の責任か。皆が誤解する「日本のエネルギー政策」の本当の課題【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(31)

3:すべてが政治闘争に見えるビョーキの世代から権力を取り戻せ!

Photo by Shutterstock

ここまで書いてきた「安定供給電源を維持する責任を誰に負わせるのか」という制度設計を解決しないと、単に原発を再稼働させるだけでは、安定供給の課題は解消されないと思われます。

「容量市場」の導入はそういう意味で非常に合理的な仕組みだと私には思えますが、導入には再エネ業者や再エネ議連などが反対し続けていたそうです。

こういう時に日本では、「再エネ推進派VS頭の古い守旧派」みたいな構図にしてしまい、「古いやつらをぶっ壊せ」的な論調を安易に立てて余計に物事が混乱して進まなくなってしまいがちです。

私は日本の言論やメディアで最も課題だと思うのは、こういうところの冷静な議論がなかなかできないことです。この記事前半で書いた「ドイツの例」と比べて日本の最もダメなところはそこです。

再エネをドイツのようにちゃんと普及させていくには、太陽光ばかり大量にあっても困るわけです。水素エコシステムとか全く新しい大規模蓄電技術とかそういったイノベーションが完成するまでは、変動する再エネをバックアップする火力発電も当然必要なので、それを維持する「責任」を誰が受け持つのか、そのコストを現実的な形で回収する仕組みをどうすればいいのか…といった議論は当然必要です。

ウクライナ紛争を見てすぐに脱原発の見直しも選択肢に入れ、真剣に考え始めたドイツ政府の動きやそれを支えるドイツのメディアにおける活発で具体的な議論に対して、日本のメディアでなされる議論はいかにも現実的な変化に鈍すぎるのではないでしょうか。 これはSNSでの論争に限らずメディアに出てくる論客さんについても同じで、とにかく日本では「日本政府がけしからん」と吠えていればいいと思っているレベルの人が多すぎるのではないでしょうか。

たとえばまさに停電危機の3月22日に掲載された朝日新聞の社説などが、本当に「全てが政治権力闘争に見えるビョーキ」のご老体の文章という感じで怒りを覚えました。

パネルを設置する戸建て住宅は現在は1割だが、2割になれば1300万キロワット、荒廃農地を半分転用できれば9500万キロワットが見込める。1基100万キロワットの原発数十基分になる。

この文章のように、日本のマスコミがよく使う「原発何基分」という言い方は、よく指摘されていることですが「キロワット(kW)」と「キロワットアワー(kWh)」をあえて区別しないことで、原発や火力の性能を低く見せ、再エネの性能を高く見せようとする表現です。 同じキロワットの「定格出力」でも、太陽光は火力や原子力のように常時発電できるわけではありません。だから「設備利用率」をかけた一定期間における総発電量で考えると、「原発何基分になるか」という数字は設備利用率によって大きく違ってきます。

もちろん、好意的に見れば「再エネの可能性の大きさ」を主張したいがための勇み足なのだという理解はできます。

私も“最終的にすべてがうまく行った先”での再エネの可能性の大きさは確信しています。しかしだからこそ余計に移行プロセスを丁寧にやる必要があるのです。

考えてほしいのですが、そもそも太陽光だけが突出して大きくなっても現状では電力網全体を安定供給できないことが問題になっている今、こうやって 「全てが理想どおりうまく行った遥か先の未来における再エネの最大瞬間風速的な発電可能量」

…を吹聴するだけで、

「今年や来年のピーク需要をいかにしのぎ切るかに必死になっている人たち」

…を納得させることが可能でしょうか?

そういう問答無用に高圧的な主張の仕方が、「安定電源」のための仕組みをコスト的に可能な範囲に収めようとする無数の現場の人々の努力を侮辱する結果をもたらし、余計に「再エネなど胡散臭いもの」だという拒否反応を生んでいるのではないでしょうか。

こういうタイプの言論は、再エネの普及のためにも有害なので転換していかねばなりません。

一方で、先程引用した朝日新聞のこの記事は、今の日本のエネルギー市場に起きている問題をフェアに描いており、同じ新聞の記事とは思えません。

前者の社説は高齢世代の「論説委員」が書いたもので、後者は現役世代の記者が書いたものなのだと思われます。

この「“政治闘争”世代が書く社説」と「現役世代の記者が書く記事」のトーンの大きな差!!!

ここにこそ、今後の日本の課題を打開していく希望の端緒があります。

もし本当に「脱原発」したいのなら、前者の「社説」のような高圧的なお説教ではなく、後者の記事のように「今何が問題になっているのか」を冷静に把握しようとする議論をさらにもっと徹底的にやることが必要です。

実態以上に理想化した欧米の事例を持ってきて単に「政府がけしからん」と吠えて溜飲を下げるのではなく、日本の現状のどこに課題があって、どうすれば解決できるのかについてもっと真剣に掘り下げる記事を書かないと。

容量市場の創設などによる構造的課題の解決には時間がかかるので、弥縫策としては原発再稼働ができれば安定供給的には一息つける因果関係は一応あります。

だから保守派の人たちは、今後強烈に原発再稼働をプッシュしてくるでしょう。ちなみに私も、将来的に水素エコシステムなどが完成して、再エネの変動を他の発電でバックアップする必要がなくなるまでの移行期間において、安全確認された既存原発を活用することは再エネ普及のためにも非常に合理的な選択だと考えています。

それに対して、日本が誇る“クオリティーペーパー”が大停電の危機当日に出す「社説」が、上記のように「数字の使い方が間違っている」「情緒的な嘆き節で論破したつもりになる」みたいな自己満足のご高説をぶっていたりするのは、本当に「脱原発」する気があるのか?と問われても仕方がないと思います。

超長期の「すべてが完全にうまく行った時の理想」をぶつけて論破したつもりになることなく、短期的な安定性の確保や漸進的な移行プロセスへの目配りなどまで考える論調を作っていってこそ、「脱原発」は可能になるのではないでしょうか。

「社説」を書いているような世代から、「リアルな議論ができる世代」が権力を奪い取ってしまいましょう。そして、日本の国土特性にあった、リアルな工夫の積み上げを、滞りなく一歩ずつやっていきましょう。

(お知らせ)
私の普段の仕事は経営コンサルタントなのですが、ちゃんと「自分たちの場合の事情」を深く考えることをせずに、「流行り物」に次々と手を出しては中途半端に終わるようなことを続けている会社の業績が上向くことはありません。

「他の事例を持ってきて自社のボスがダメだという」のに使っているエネルギーを、「自分たちの事情」をしっかり深堀りして、最適な戦略を独自に考える動きを辛抱強くバックアップすることによってのみ、物事は好転していくのです。

過去30年の平成時代の日本は、「議論という名に値しない単なる罵り合い」だけを延々と続けて、具体的な課題はほったらかしのまま徐々に衰退してきてしまったのではないでしょうか。

そんな状況を打開するための本『日本人のための議論と対話の教科書』を先月出しました。

私のクライアント企業で、10年で150万円も給料を上げられた成功例などから説き起こし、徐々に今回記事で扱ったような大きな社会課題においても「罵り合いでなく問題解決へ」向かわせる方法についてまとめています。

「序文(はじめに)」を無料公開しているので、この記事に共感された方はぜひお読みください。

この記事の感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。


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