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天皇皇后両陛下が行幸啓された「ブータン展」をコネなし状態から開催させた舞台裏。展覧会プロデュースの「企画」で一番大事なこと
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  • 2023.07.11
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天皇皇后両陛下が行幸啓された「ブータン展」をコネなし状態から開催させた舞台裏。展覧会プロデュースの「企画」で一番大事なこと

【連載】知られざる「展覧会プロデュースの世界 」、企画・営業・制作実務の極意(2)

西武百貨店、東映といった民間企業において、「展覧会プロデュース」一筋で35年以上のキャリアを有する西澤寛氏が、業界外ではあまり知られることのない「展覧会ビジネスのノウハウ」を語る連載第2回。今回のテーマは「企画の立て方」。

とはいえ展覧会は題材になる本人や関係者が首を縦に振って初めて実現するイベントだ。魅力的な展示空間を作り込み、適切なタイミングで開催することは集客のためにも重要なのは大前提だが、企画をする段階から「交渉」を念頭に置いてものを考える必要がある。

聞き手・構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

西澤寛

滋賀県立愛知高等学校・京都精華大学美術科卒業後、2年間ヨーロッパを外遊。
株式会社西武百貨店に入社。大津店販売促進課長から五番舘西武赤れんがホール館長に就任。セゾンコーポレーション関西文化担当室、西武百貨店本部で文化動員催事を担当。ニューヤングの顧客管理、地元商店街との活性で2回の西武百貨店社長表彰を受賞。「セゾン大賞論文」「公共広告賞」「大津市の文化創造についての論文」に入賞。
2000年、東映株式会社入社。事業推進部企画推進室長を経て、現在シニアプロデューサー。
著書に『展覧会プロデューサーのお仕事』(徳間書店)がある。企画した展覧会の図録は40冊も編集している。

かつては「新聞や雑誌の小さなコラム欄」が重要なネタ元だった

『太古の世界 恐竜時代(しかけ絵本)』(ロバート・サブダ、マシュー・ラインハート/2005年 大日本絵画刊) Photo by Shutterstock

今回のテーマは「展覧会企画の立て方」です。どんな要素が「展覧会になるかもしれない」と感じるかと言いますと、ひとつは「対象コンテンツのアニバーサリーイヤーを狙う」です。生誕◯◯周年、作品発表◯◯周年などですね。これは調べればわかることですから、前もって実現できないか動いておくことができる。作家・作品の誕生年から数えるだけでなく「初のテレビ放送とか出版から◯〇年」というようなひねり方をすることもあります。

一方で速報的な企画と言いますか、誰かが大きな賞を獲った、あるいは不謹慎ですが誰かが他界されたというのも展覧会のきっかけになります。

日本でスマホが普及してきたのが2012、13年ごろからですが、SNS以前、あるいはスマホ以前の時代は、情報の取り方そのものが今とは大きく異なっていました。

図書館はもちろん多用していましたが、個人的に存在感が大きかった情報源のひとつに「雑誌や新聞の情報欄、コラム欄」がありました。今で言うところの「SNSインフルエンサー、YouTuberによる好意的な紹介」に近いかもしれません。宣伝面での影響力もありましたし、そこから次の展覧会企画になるネタも結構集められていたのです。

そうした小さなコラム記事を僕が読んだことから生まれた展覧会のひとつが、2006年に開催した「ロバート・サブダ  しかけ絵本の世界展」です。しかけ絵本とは、飛び出す絵本、ポップアップブックとも言い、本を開くと立体的な紙が飛び出したり、それを触って遊べたりする本のことです。

前年の2005年秋ごろに新聞で「しかけ絵本がクリスマスプレゼントの贈り物として人気」という記事を見つけ、ロバート・サブダのしかけ絵本を多数出版していた大日本絵画にコンタクトを取りました。

「東映の西澤です。ロバート・サブダの展覧会を開催したいのですが…」とお願いしたところ最初は「忙しいから後にして」とけんもほろろな対応だったものの、話をしていくうちに「ボローニャ国際図書展に彼が来るから、そこで手紙を手渡してあげる」と言われて実際に手紙が届いたら、翌年3月ごろに「とりあえずニューヨークに来てもらって話をしたい」と返事がもらえました。いろんな資料を作成して夏に直接会って打ち合わせをして、そこから半年ぐらいで実現させていったと記憶しています。

最終的には全国17会場に巡回し、女性から大好評でした。しかけ絵本も一冊4000円ぐらいするんですが、物販はかなり売れました。親子連れで来たところお母さんの方がハマってしまって、子どもには触らせないようにしているという話も聞きました。

「どの会場に提案するか」によって企画の方向性は大きく変わる

西澤氏が企画に携わった最新の展覧会である「ぞうのエルマー絵本原画展」は、兵庫県の姫路文学館にて6月24日から9月3日まで開催中

展覧会の企画を考案するだけでなく、実現させるために必要なことは何か。それは「費用を出してもいいと言ってくれる主催者を探すこと」です。展覧会の内容や方向性も、どこに何を提案するかを前提にして企画メニューも大きく変わります。

ここで言う提案先とは、大きく分けて①百貨店、②美術館・博物館、③新聞社・テレビ局の3つに分類できます。

その上で大幅に簡略化して言いますが、百貨店は施設内での「回遊性」を期待し集客数を特に重視します。新聞社・テレビ局の場合は収益性を重視することが多いです。

美術館・博物館は公営の施設が多いこともあり「この館で開催することの意義」、つまり作家や工芸品が地元であったり、扱う作品が地域と何かしらの関連がある、地域市民のためになる、そういった要素を重視します。単に「今話題の作家・作品です」とレコメンドしても決め手になりません。

もちろん扱う対象のジャンルも重要です。サブカルチャー関連であれば百貨店や商業施設に提案しますし、逆に「新発見の出土品の初公開」といったネタであればまず提案に行くのは博物館だな、と考えるわけです。

企画の交渉に関しては、企画書の作り込みが「重要」ではなく、大抵は何十ページも作ることもありません。開催側からすれば一番気になる「結局どのぐらいの来場者が見込めるのか」は蓋を開けてみなければわかりませんし、展示品をその場で見せることも難しいことが多い。「他会場で実施して集客が良さそうだったらウチでもOKが出せます」と言われてしまうこともあります。つまり「企画書以外の要素」の方が重要なのです。

ぞうのエルマー絵本原画展」の企画書の一部

企画書は全8ページで、展覧会の概要、作品・作家の概要、来場者ターゲット層を大まかに示したシンプルな構成になっている

それよりはやはり、会場担当者との人間関係がものを言う業界です。開催できた展覧会で信頼を構築し「西澤の言うことならちょっと聞いてみるか」で最終的な決定にこぎつけたことも一度や二度ではありません。なので「最高の営業タイミング」は展覧会の展示作業中、終了時の撤去作業中であり、そこで担当者へ提案することが重要だったりします。

会場担当者も常に新規企画を求めていますから、大抵は「今どんなネタを持ってるの?」「こういう題材をやれと上司から言われてて、その関連だったら比較的企画が通しやすいよ」と言われたら「後2〜3会場で巡回が決まれば展覧会の製作コストが回収できるから、本格的にゴーサインが出せるな」となるわけです。あるいはオーダーメイド的に「このテーマで展覧会をやりたくて、ちょっと権利元に相談してみてくれない?」と頼まれることも多々あります。

「ぞうのエルマー絵本原画展」で展示されるフォトスポットの設計用資料。展示品を陳列するだけでなく、こうした来場者のための関連企画の充実を図るのも企画会社の仕事となる

「ブータン王国の国王・同王妃両陛下の衣装を絶対に出展して頂きたい」と言われたらどう交渉する?

ブータン展のアートディレクターの松尾たいこ氏によるイラスト「タクツァン僧院」

これまでにも企画実現のため交渉が大変な展覧会は数多くありましたが、思い出に残っている展覧会のひとつが2015年から17年にかけて全国巡回した「ブータン ~しあわせに生きるためのヒント~」です。

きっかけは東日本大震災のあった2011年の秋に、ブータン王国の国王・同王妃両陛下が来日され、国会で演説もされたこともあって、日本国内で同国への注目が高まったことです。ブータンは国民総幸福量(GNH)という独自の考え方を国家の指標として打ち出してきたことは有名ですが、これまでずっと経済成長を追い求めてきた日本はこのままで良いのか、もっと違う価値観にも目を向けるべきではないかと考えさせられました。

ただ、開催したいと企画の交渉をするにしてもどこにコンタクトを取ればいいかわからない。調べると日本には大使館がなかったのです(名誉総領事館が東京・大阪・鹿児島にあります)。

ブータンは長年、鎖国政策をとっており、日本と国交を樹立したのも1986年です。なのでそもそもコンタクトが取れる人や組織が限られており、1年ぐらいずっと苦労していたのですが、そんな中で出会ったのがチベット出身で日本に帰化した政治学者のペマ・ギャルポ氏でした。ペマ氏は当時ブータン王国の首相顧問でもあり、紹介を受けてブータンの官房長官、国立博物館の館長に会うことができました。

それもあって日本での展覧会実現については大きく前進し、開催したいと手を上げてくれた会場も複数内定しました。

これでようやく開催はできそうだとなったものの、次に出てきた問題が「どうやって展示内容をより充実させるか」です。

ブータンの現在の国家としての起源は17世紀にさかのぼり、日本では江戸時代ごろですから、展示物の時代は相対的に「ものすごい考古学の逸品」とは言いにくい。メインはブータンの生活様式を伝える民族衣装、ブータン仏教の歴史を伝える品々などになったわけですが、王国の国王・同王妃両陛下が来日して日本でのブータンに対する注目度が上がったわけですから「両陛下の衣装や愛用品が展示できないか」というプレッシャーがありました。

とはいえどんな国でも王室の品々を借用することは簡単ではないのですから、何度も何度も交渉を重ね、最終的には「展覧会のパートナーから『何か出展していただけないならウチは降りる』とまで言っている」と伝え(ハッタリではなく実際に言われました)、遂に王国の国王・同王妃両陛下の衣装や初代国王の帽子などを出展頂くことができたのです。

多種多様の交渉は、最近のようにリモートではなく、コーディネーターを通じて英文のメール・電話をブータンのパロ国立博物館の館長や学芸員と繰り返していました。具体的な依頼事項になると当社(東映)の担当役員名の英文レターを作成して、文化大臣宛に郵送して許諾を得なければなりません。それでも納得できる解決がいただけない事項が多過ぎて、最終的には現地に出向き一週間余り缶詰め状態で協議をしました。遠路はるばる出かけて、顔と顔を突き合わせれば、お互いの言い分も理解できて「何とか決着しなければならない」と解決の方法を探ることになりました。

そして最初の開催地となった上野の森美術館での開会式にはツェリンヤンドン・ワンチュク第4代王国の王妃殿下(現国王の母)にもご出席を賜りました。展覧会は平成天皇皇后両陛下(現 上皇上皇后両陛下)に行幸啓賜りました

企画の交渉には「入口を間違えないこと」が絶対条件

展覧会の企画になる題材の多くは必然的に世の中の人たちが興味を惹かれる対象、つまり各業界の「著名な人」や国・文化そのものになるわけですが、実現のための第一歩として最も大事なのは「交渉の入口を間違えてはいけない」ということです。

よく「自分なら大物と直接話ができる」と吹聴する人が現れますが、それを言葉通り信じるのは非常に危険です。企画者自身がそれなりの裏取りをしなければなりません。

また、過去には「僕は映画会社の社員だし、自社で配給した映画関連の展覧会なら許諾取得がスムーズかもしれない」と思って企画したものの、逆に著作権の二次使用に巻き込まれてしまって前に進まず、他社に実現されてしまうこともありました。全ては結果論でしかありませんから、これも「入口を間違えていた」ということなのだと思っています。

今回、途中で「企画書の作り込みが最優先ではない」と言いましたが、この傾向は以前よりも強まっていると感じます。展覧会の収益化が難しいのは昔から変わりませんが、社会や企業がより「成果」を求めるようになってきたように、展覧会を取り巻く環境もその風潮が反映されています。それが何を意味するかというと、部下=未来のプロデューサー候補を育成するのが困難になってきているのです。

もちろん、新企画の営業に同行して顔を覚えてもらうといったようなことは当然やっていますが、しばしば求められる「実績」は徐々にしか積み上げていけません。多くの来場者に楽しんでいただける新企画を(常に何本も)胸に、今日も全国各地を飛び回っています。


第1回「10万人を動員しても赤字!? キャリア35年以上の凄腕プロデューサーが明かす、知られざる「展覧会ビジネスの魅力と難しさ」」はこちら

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