- GLOBAL
- 2020.07.15
「中国だから仕方ないよね」では済まされない。激化する中国包囲網の中で日本が取るべき選択は?【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(6)
6:香港民主派・日本保守派・日本リベラル派へのメッセージ
もし、この記事を日本語が達者な民主派の香港人さんが読むことがあるならお伝えしたいことは、強烈な弾圧の中である程度は「自分の命」を守る行動を取ることを自分に許してあげてほしいということです。
「中国政府に対する国際社会の包囲網」のようなものはなかなか足並みが揃いません。少なくとも香港民主派の人が望むほど明示的にすぐに徹底的な行動に繋がることは難しいかもしれません。
だから香港民主派の人たちにお願いしたいことは、「死なないけど諦めない」というラインを慎重に模索することです。弾圧されてペシャンコになってしまわずに、先程の「煽り耐性のギャップ」を利用して、「中国共産党の恫喝中毒サイクルが止められなくなるだけの必要十分な刺激」を与え続けましょう。
あなたがたの最大の武器は「諦めの悪さ」です。
むしろあなたがたの「決して諦めない姿勢」が、この問題について「どうせ中国政府のいうことが通るだろう」という「世界的な諦め」の感情を覆すほどのパワーを持ったことを私は本当に尊敬する気持ちになっています。
「どこまで弾圧されるか」を見極めつつも、とにかく「諦めずにいる」ことができれば、上記の「恫喝中毒サイクル」は回っていきますから、いずれ状況は大きく変わるでしょう。
香港民主派に限らず、日本における保守派・リベラル派、そして欧米社会、それぞれなりに「立場」は全然違いますから、明示的に「共闘するぞ!」となってもなかなかうまくいきません。
しかし、「あちこちで相互無関係にチマチマと刺激を与える」ことで、「中国政府を恫喝中毒状態にする」程度の連携なら可能でしょう。
一昔前は経済的に繁栄すれば中国は民主化するだろう…と根拠のない予想をする人が多かったわけですが、今そんなことを言う人がいたら現実を見えていない夢想家だとバカにされがちですよね。
結果として、日本で中国の民主化について真剣に考えているのは、中国に対する敵対心のある保守派か、とにかく自由!民主主義!となったら目の色が変わる極端な左翼活動家か、どちらかだけ、みたいになってしまっています。
でも、大事なのは、もっと普通の人のレベルで、
「政府批判者がバンバン投獄されるような政体のまま世界一の経済とかになられたら困るんですけど!」
という当たり前すぎるほど当たり前な事が、麻痺しちゃって無視されている現状にちゃんと危機感を持つことです。
そうはいっても普通の人間に何かできる気がしないんだよね…という時に、先程の「煽り耐性のギャップ」と「項羽と劉邦作戦」の話を思い出してほしいわけですね。
自分たちのできる範囲での「刺激」でも、中国の「煽り耐性」の壁を超えて「恫喝中毒サイクル」を加速させることができさえすれば、状況の転換に貢献できるわけです。
この記事中の絵や図はすべて自由にネットで再利用していただいて構いませんし、ぜひ「項羽と劉邦作戦」の機運を協力しあって盛り上げていきましょう。
また、「日本政府公式」的な問題でも、欧米と完全に歩調をあわせる必要はないとしても、「ちゃんとNOを言う」態度は私は必要だと考えています。
最近の日本のリベラル派も、20世紀と比べれば上記の「制度間の利ザヤ取り問題」について自覚的な人たちがかなり増えていると思いますし、リベラル派・保守派が協力しあって、日本政府に「ちゃんとNOというべきところで言わせる」動きは今後重要なはずです。
そして国際社会において、この点で日本政府が持っている「分水嶺」的な役割は大きいはず。
また、声をあげると命にかかわるから黙っているものの、習近平的な強硬路線に対して反対であるインテリの中国人はかなり多いと聞いています。
「恫喝中毒状態に追い込んで経済的ダメージを与える」と同時に、「彼らの安定性を維持できる落とし所」を国際社会が考えていくことができれば、「自分たちをちゃんと食わせる代表だけが中華の中心として信任される」という強烈な本能的直接民主制のようなものがある彼らの文化全体が共鳴して、「あたらしい着地点」を見出していくでしょう。
欧米人はなかなかこういう「中華文明圏の為政者の責務」というような本能的センスを理解することは難しいでしょうから、国際的圧力をただ加える以上のことは難しいと思います。
だからこそ、「欧米的な理想も理解できる」し、一方で同時に「アジア社会的な事情」も理解できる私たち日本人が、ちゃんとその「ハード」路線を補完できる「ソフト」路線を組み合わせていくことで、単なる「力VS力」の対立を超える可能性が生まれます。
欧米文明の独善性を相対化しつつも、欧米の理想が持つ美点を壊さないようにし、かつ中国政府の横暴を掣肘しつつも、アジア的な調和が崩壊して世界戦争状態になってしまったりはしないようにする。
中国政府にNOと言うべきところでちゃんとNOと言いつつ、政府間とは違う民衆同士の地べたのふれあいにおいては、「アジア人同士」的な感性において大事にしていきたい価値観を共鳴させて変化を促してゆく。
私たち日本人がそういう舵取りをしていくことによって、苛烈な項羽=共産党政府を、寛容な国際社会=劉邦がやっつける「項羽と劉邦」作戦が全体として完成します。
それが、「各人の立場ごとにやるべきこと」を整理した以下の見取り図につながります。
次回は、その「ソフト」路線における、「あたらしい落とし所」を提案していくプロセスにおいて日本が果たすべき役割について書きます。
連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。この記事への感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。
また、この「中国問題」と表裏一体になっているアメリカでの黒人差別問題に対して、日本がどういう態度で向かうべきか?という記事と、その中で「東京という街」が持っている可能性について書いた記事がかなり読まれたので、よろしければどうぞ。
この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?』をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。